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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)97号 判決 1985年3月29日

(目次)

当事者の表示

主文

事実

第一当事者の求める裁判

一 請求の趣旨

二 請求の趣旨に対する答弁

第二当事者の主張《省略》

一 請求原因

1(当事者の地位)

2(事件の概要)

3(原告二郎の逮捕・勾留の違法性)

4(取調の違法性)

5(家裁送致の違法性)

6(弁護人との接見制限の違法性)

7(被告東京都の責任)

8(被告国の責任)

9(原告らの損害)

10(結び)

二 請求原因に対する認否及び反論

(被告東京都)

(被告国)

第三証拠関係《省略》

理由

第一当事者の地位及び事件の概要

第二逮捕・勾留の違法性

一第一回目の逮捕・勾留の違法性

1 (当事者間に争いがない事実)

2 (第一回目逮捕状請求までの捜査)

3 (第一回目逮捕状発付の違法性)

4 (第一回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

二第二回目の逮捕・勾留の違法性

1 (当事者間に争いがない事実)

2 (第二回目の逮捕状請求までの捜査)

3 (第二回目の逮捕状発付の違法性)

4 (第二回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

三第三回目の逮捕・勾留の違法性

1 (当事者間に争いがない事実)

2 (第三回目の逮捕状請求までの捜査)

3 (第三回目の逮捕状発付の違法性)

4 (第三回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

四小括

第三取調の違法性

一原告二郎の取調経過

1 (第一回目の逮捕直後から第二回目の逮捕直前まで)

2 (第二回目の逮捕直後から第三回目の逮捕直前まで)

3 (第三回目の逮捕直後から釈放時まで)

二原告二郎に対する取調の違法性

1(自白の強要等)

2 (暴行、脅迫及び侮辱等)

3 (アリバイ捜査の懈怠)

4 (小括)

第四家裁送致の違法性

一検察官による家裁送致

二違法な家裁送致と権利侵害

第五検察官の接見制限の違法性

第六原告二郎の請求に対する判断

一被告東京都に対する請求

二被告国に対する請求

第七原告ウメ子の請求に対する判断

第八結び

(別紙)

送致事実一覧表

被疑事実

原告

甲野二郎

原告

甲野ウメ子

右両名訴訟代理人

高橋利明

国本明

高木壮八郎

佐々木秀典

田岡浩之

管野兼吉

金住典子

石井小夜子

津田玄児

水野邦夫

小松昭光

佐々木恭三

猪原英彦

被告

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

平賀俊明

外一名

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人

吉原歓吉

右指定代理人

常盤毅

外三名

主文

一  被告東京都は原告甲野二郎に対し、金一五万円及びこれに対する昭和五三年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告甲野二郎の被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求並びに原告甲野ウメ子の被告両名に対するすべての請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告甲野二郎と被告東京都との間においては原告甲野二郎に生じた費用の二〇分の一を被告東京都の負担とし、その余は各自の負担とし、原告甲野二郎と被告国との間においては全部原告甲野二郎の、原告甲野ウメ子と被告国及び被告東京都との間においては全部原告甲野ウメ子の、それぞれ負担とする。

四  この判決は、原告甲野二郎の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告甲野二郎に対し各自金三三〇万円、原告甲野ウメ子に対し各自金一一〇万円及び右各金員に対する昭和五三年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張<以下、省略>

理由

第一  当事者の地位及び事件の概要

一請求原因1項(一)、(二)の事実(但し、(二)の事実中、原田主任及び高橋刑事らが東調布署に派遣された日を除く。)は、原告らと被告ら間において争いがない。また同(三)の事実は原告らと被告国との間において争いがなく、原告らと被告東京都との間においては、弁論の全趣旨によつて、これを認めるに充分である。

二請求原因2項の事実は、全部原告らと被告ら間において争いがない。

第二  逮捕・勾留の違法性

原告らは、右のとおり原告二郎に対してなされた三回にわたる逮捕・勾留は、全部違法である旨主張するのであるが、被疑者の逮捕・勾留は、そのなされた時点において、被疑者にかかる犯罪の嫌疑について相当な理由があり、必要性が認められるかぎりは適法である(昭和五三年一〇月二〇日最高裁第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁)ことはいうまでもないところであり、しかも、右にいうところの相当の理由が、逮捕状請求及び逮捕状発付時又は勾留請求及び勾留状発付特ママに存在した全捜査資料に基づき合理的に判断した場合、被疑者がその罪を犯したものであることが一応の確からしさをもつて認定し得ることを意味するものであることは、被疑者の逮捕・勾留が、その後における捜査機関による捜査とこれによる事案の解明を予定する制度であること自体から当然である。従つて、被疑者の逮捕・勾留の適否を判断するに当つては、右の各訴訟行為がなされた時点を基準とし、そのときまで現われた資料に基づき客観的合理的に判断した場合、果して被疑者につき、当時問題とされ被疑事実に関し、右にいう罪を犯したと疑うに足りる相当の理由(犯罪の嫌疑に同じ、以下、単に「犯罪の嫌疑」又は「嫌疑」ともいう。なお、原告らが、右の逮捕・勾留の違法につき、犯罪の嫌疑の不存在以外の点につき主張していないことは、原告らの主張自体によつて明らかである。)がなかつたといえるかどうかを判断すれば足りるというべきであるから、以下、この観点において、原告らの右主張の当否を検討することとする。

一  第一回目の逮捕・勾留の違法性

1(当事者間に争いがない事実)

請求原因3項(二)の(1)、(2)事実(萱沼宅事件(①)による逮捕・勾留とその被疑事実並びに逮捕状請求時の証拠資料)は、当事者間に争いがない(以下「当事者間に争いがない」とは、「原告らと被告東京都との間において」又は「原告らと被告国との間において」等特に断わらない限り、原告らと被告ら間において争いがないことを指すものとする。証拠関係についても右に倣う。)。

2(第一回目の逮捕状請求までの捜査)

(一) 東調布署刑事防犯課が警視庁防犯部少年第一課に対し、少年グループによる多数窃盗事件捜査のため応援を求めたこと及びSが犯行を認めていた東工大ギター窃盗事件で二月九日逮捕され、三月二日に釈放されたことは、当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 原田主任、高橋、佐藤、鈴木及び並木武和(以下「並木刑事」という)の各刑事は、いずれも当時警視庁防犯部少年第一課所属であつたもので、東調布署の要請により、原田主任及び高橋刑事は一月二六日、佐藤刑事は二月一二日、鈴木及び並木の両刑事は、いずれもその約一週間後に東調布署に派遣され、東調布署刑事防犯課の岸本課長の指揮下に編入されたうえ、同署所属警察官の補助を受けながら原田主任と高橋刑事が中心となつて犯罪捜査に従事した。

(2) 当時東調布署管内においては「公衆電話機荒らし」「倉庫荒らし」等の窃盗事件が多発し、これらのうちには、暴走族グループ「ブラックエンペラー」に所属する少年らによる犯行が含まれていることは既に判明していたが、そのうち請求原因3項(一)(1)記載の東工大ギター窃盗事件については、原田主任ら警視庁防犯部少年第一課所属の警察官が派遣される以前の一月一〇日頃東調布署員がブラックエンペラー所属の原告二郎、S及びYを取調べたところ、SとYがその犯行を自白していたが、その賍品については、原告主任が東調布署に着任した直後の一月二八日Wを取調べ、同人がSとYから買受けた賍品の一部のエレキギターとエレキベース各一台を同人から提出させ、これを領置したものの、他の賍品については、依然その処分先は不明であり、その他にも未解決の事件が多数あつた。

(3) 岸本課長は、東工大ギター窃盗事件については、右の事情があるのに、S及びYは、呼出を受けても出頭しないとして、東工大ギター窃盗事件の被疑事実の存在を理由とする逮捕状の発付を受け、S及びYの両名を二月九日に逮捕した。Sは、右逮捕に引き続き二月一二日から三月二日まで警視庁玉川警察署(以下「玉川署」という)附属留置場に勾留されたが、三月二日東京家裁において、試験観察に付され身柄を釈放され帰宅した。

(4) ところで、別紙送致事実一覧表記載の事件は、昭和五一年七月三〇日頃から一二月二五日頃まで発生した事件であつて、芳賀宅事件を除く右の各事件については、いずれもその発生直後に被害者から東調布署長あてに被害届が提出され、かつ、この届出直後に東調布署員が被害現場についての実況見分をしていたし、またSは、既に一月一〇日頃このうちの東工大事件(②)と思われる事件につき取調を受けたことがあつた。

(二) (S・Z調書の違法性)

原告二郎が二月二一日萱沼宅事件(①)によつて逮捕されたこと及びその逮捕状請求のための証拠資料中にS及びZの各供述調書が含まれていたことは、前記のとおり当事者間に争いがないところであるが、原告らは、右のS・Zの各調書は任意性を欠くばかりでなく、矛盾を含んでいて信用性がないものであつて、これを除けば、原告二郎には、右の逮捕状請求及びこれに基づく逮捕状発付時、この逮捕を前提とする勾留請求及びこれに基づく勾留状発付時には、いずれも犯罪の嫌疑がなかつたと主張するので、これらの点について順次判断する。

(1) まず、S及びZの萱沼宅事件(①)及びその他の窃盗事件についての自白経過及びその他の捜査経過について見ると、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(イ) 高橋刑事は、二月九日、同日逮捕されたSを取調べたところ、同人が、前記東工大ギター窃盗事件の犯行を認めるとともに、余罪として、原告二郎、Yらとともに約七〇件の公衆電話機荒らし等の窃盗を行つた旨の供述(甲第一一二号証)をしたため、その後もSを右個々の余罪について具体的に取調べ、同人の約数十件の犯行についての自白を得た(甲第一三〇号証、丙第六八号証)。

(ロ) 高橋刑事は、二月一三日午後Sに対する右余罪の取調の際、同人に対し、公衆電話機荒らし等の事件以外に住居に侵入して窃盗を行つたことがないかどうかを質問したところ、Sは、約二〇件の侵入窃盗の犯行を認める供述をし、高橋から交付された紙に右犯行の概括的内容(日時、場所、共犯者、窃取金品等)を記載した(丙第一号証、以下「S自供書」という。)。S自供書には、萱沼宅事件(①)及び東工大事件(②)、東工大厚生課室事件(⑧)と思われる事件で、いずれもSが原告二郎、Z、Kと共同して犯行したとする事件が記載されていたが、右の記載は、個々に引当り捜査等を行わない限り、それ自体によつては、その犯行の具体的内容が明らかにならない程度のものであつた。そして、Sは、右侵入窃盗の犯行について、記憶が曖昧であるうえ、「Zなら素直に話をする」などと述べてそれ以上の詳細な事情の供述を渋つていた。

(ハ) また、佐藤刑事は、二月一三日午後任意出頭したZを公衆電話機荒らし等の事件について取調べたところ、同人は、昭和五一年九月頃Kらとともに東工大構内に侵入してフォークダンス部室からカセットテープレコーダー等を窃取したことを供述したが(甲第一一八号証)、佐藤刑事は、右取調の際、高橋刑事から、SがZらとともにアパート等で侵入窃盗を行つたことを供述している旨の連絡を受けたため、佐藤刑事も、Zを右侵入窃盗事件について取調べたところ、同人は、不承不承一三件の侵入窃盗の犯行を供述するに至り、Sと同様、佐藤刑事から交付された紙に右犯行の概括的内容を記載した(丙第二号証、以下「Z自供書」という。)。

(ニ) そして、佐藤刑事は、Z自供書中、最も窃取金額の大きい事件、即ちZが昭和五一年九月頃原告二郎、S、Kとともに大岡山駅付近のアパートに侵入して現金一〇万円を窃取し、Zが二万円を受取り、その余の三人が残額を分配したという事件(Z自供書中、第一〇番目の事件)に注目し、Zに右犯行現場の略図を書かせたうえ、二月一三日午後三時頃、瀬尾刑事らとともにZを自動車に同乗させて右事件の引当り捜査を実施した。Zは、自発的に佐藤刑事らを大田区北千束三丁目三〇番地先路上に案内し、更に、その後徒歩で同三三番一二号所在のすみれ荘先の路上にまで案内し、その際、右事件について、Zらが侵入したのは同荘一階中央の部屋で、Zらはダンボール箱と古いテレビの箱を立てかけて通行人に見られないように目隠しをし、同部屋のガラス窓を破つて室内に侵入して現金約三四万円を盗んだ旨説明した。そこで、瀬尾刑事が右部屋の隣室の居住者井上猛に対し聞込み捜査を行つたところ、同人から、隣室の萱沼栄一が昭和五一年一二月中旬頃ボーナス等現金三〇万円位を盗まれたことの情報を得るに至つた。

(ホ) 佐藤刑事は、右引当り捜査終了後、同日午後四時頃東調布署に戻り、Zに前記略図に窃取金額及び分配金額等を記入させたうえ、(丙第六号証添付の図面)、同人を帰宅させた。佐藤及び瀬尾の両刑事は、高橋刑事に対し石塚の右引当り捜査の結果を連絡するとともに、瀬尾刑事が右被害事実の有無を確認するために同署保管の被害届、実況見分調書を調べたところ、右事件の被害者である萱沼栄一から前記のように被害届(丙第四号証)が提出され実況見分も実施されている(丙第五号証)ことが判明するに至つたため、佐藤及び瀬尾の両刑事は、それぞれ以上の引当り捜査の結果等について捜査報告書を作成した(甲第一一九号証、丙第三号証)。そして、佐藤刑事は、翌一四日午後再度任意出頭したZを萱沼宅事件(①)について取調べ、昨日の引当り捜査の際に同人が供述した点を確認したところ、同人は、あらためて右事件の犯行を認める旨の供述をした(丙第六号証)。

(ヘ) 高橋刑事は、佐藤刑事らから前記引当り捜査結果の連絡を受け、S自供書の中にも、Sらが大岡山駅付近のアパートにガラス窓を破つて侵入し現金三四万円を窃取したという事件(S自供書中、第六番目の事件)が記載されていたことから、二月一四日Sにつき右事件の引当り捜査を実施することとし、並木刑事らとともにSを自動車に同乗させて、同人に右事件の犯行現場へ案内させたところ、Sは、高橋刑事らを前記すみれ荘先の路上まで案内し、萱沼宅への侵入方法につき、同宅の裏側のガラス窓を破つて侵入した旨説明したため、高橋刑事らは、同所においてそれ以上の捜査をすることなく東調布署に戻り、高橋刑事において、Sを右事件について取調べたところ、Sも同事件の犯行を認めるに至つた(丙第七号証、右の事実のうち、S及びZが萱沼宅事件(①)の犯行を認め、右事件に関する両名の自白調書が作成されたことは当事者間に争いがない。)。以上の事実が認められ、右認定に反する前記S証人の供述は前掲各証拠に照し措信することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) 次に、原告らは、S及びZの右のように萱沼宅事件(①)の犯行を自白するに至つたのは、高橋刑事らが、高校進学を望んでいたSに対し、前記逮捕直後から、実況見分調書等を示しながら同事件の犯行を認めるように追及し、かつ「右犯行を認めれば、高校を受験させてやる」と申向けて利益誘導したり、S及びZに対し、「おまえの友達は皆犯行を認めており、認めていないのはおまえだけだ」、「認めなければ少年院送りだ」などと申向けたりして脅迫したからであつて、S及びZの前記自白自体既に任意性も信用性もない旨主張するのであるが、萱沼宅事件(①)による原告二郎の第一回目の逮捕から勾留までに現われた資料によつては、この事実を認定することができない。よつて、この点は後に取調の違法性を判断する際にあわせて判断することとする。

(3) 次に、原告らは、S及びZの供述内容が、相互に矛盾し、かつ実況見分調書に示される現場の状況と矛盾していることから、S・Zの各自白調書は、いずれも信用性がない旨主張するので、この点について検討すると、まず、Sの自白調書(丙第七号証)には、萱沼宅への侵入方法に関し、原告二郎ら三人とともに同宅の裏側のサッシ戸の上方にある高窓から部屋の中に入ろうと考え、Zが近くに置かれていた古いテレビを、また原告二郎か又はKがダンボール箱を、それぞれ持つてきて、原告二郎とSがテレビの上にダンボール箱を乗せて踏台を作り、Kがその上に乗つて高窓から入ろうとしたが、高窓には錠がかかつていたため、その下方のサッシ戸のガラスを破つたうえ、Sら四人が同サッシ戸から室内に侵入した旨及び窃取箇所については和ダンスの右上段の小引出しである旨の供述記載があること、Zの自白調書(丙第六号証)には、Sらにおいて萱沼宅のガラス窓を破る間、Zは見張り役をしており、また、窃取箇所については整理ダンスの上から二、三段目の引出しである旨の供述記載があること、しかるに、実況見分調書(丙第五号証)添付の写真中には、右高窓の存在を示すような写真はなく、右テレビとダンボール箱については以前から同所に置かれており、盗難箇所については和ダンスの最上段の左右小引出しの二箇所である旨の立会人の指示説明の記載が存在し、また、同調書の添付写真に撮影されている右ダンボール箱が踏台としての使用に耐え得るようなものではないこと、以上の事実は当事者間に争いがない。そして、右の事実によれば、萱沼宅への侵入方法及び窃取箇所について、原告ら主張のとおり、S及びZの供述記載の一部が、相互に食い違つていたり、右の各供述記載と実況見分調書の記載内容と食い違つていることが明らかである。しかしながら、前記丙第七号証(Sの自白調書)によれば、Sは、昭和五一年一二月一一日午後五時頃原告二郎ら三人とともに喫茶店「サントス」に集つて窃盗の相談をし、午後七時三〇分頃萱沼宅に侵入することとし、Kが部屋の裏側のサッシ戸の錠付近のガラスにガムテープを貼つてドライバーでガラスを割つて右の錠を開けたうえ(以下、この方法を「三角破りの方法」という。)、Sら四人が室内に侵入して物色し、Zが和ダンスの右上段の小引出しの中から探し出した給料袋のような茶色の封筒に入つたものなど合計三四万四〇〇〇円の現金を窃取し、午後八時三〇分頃部屋から出た後、これを、K一〇万円、Sら三人各八万円位に分配したことを供述し、また、前記丙第六号証(Zの自白調書)によれば、Zは、昭和五一年一二月一一日午後七時三〇分頃原告二郎ら三人とともに萱沼宅に三角破りの方法でガラス窓を破つて侵入し、室内を物色のうえ、整理ダンスの上から二、三段目位の二つの引出しの中から給料袋のような茶色の紙袋に入つたものなど合計約三四万四五〇〇円の現金を窃取し、午後八時三〇分頃部屋から出た後、これを、K一〇万円、Zら三人各八万円位に分配したことを供述していたことが認められ、他方、前記丙第四、第五号証(被害届及び実況見分調書)によれば本件被害事実に関し、被害者萱沼栄一の届出及び実況見分の際の指示説明においては、被害日時が昭和五一年一二月一一日午後九時頃から同月一四日午後六時三〇分頃までの間であり、被害状況として、六畳間の和ダンスの最上段の左右の両小引出しの中から、給料袋に入つた現金八万円、ボーナス袋に入つた現金六万四〇〇〇円、裸のままの現金二〇万円合計三四万四〇〇〇円が窃取され、同部屋の南側サッシ戸のガラスがクレセント錠付近を外側から三角に破られていたとされていることが認められるのであつて、右の事実によれば、S、Zの各供述間及び右各供述と被害届、実況見分調書の記載との間には、前記のような食い違いが一部分に存在することが明らかであるものの、犯行日時、場所、被害品、犯行態様、現場の状況等窃盗事件の核心ともいえる点については、大筋において相互に一致していたのであるから、捜査を担当した岸本課長において、原告二郎が萱沼宅事件(①)の犯行に共犯者として加わつた嫌疑があると判断したことにつき、相当な理由があつたと認められるのであり、他の本件全証拠を検討して見ても、前記の萱沼宅事件(①)の逮捕状請求時に原告二郎に嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

3(第一回目の逮捕状発付の違法性)

大森簡易裁判所裁判官田中利雄が岸本課長の請求に基づき、二月一六日原告二郎に対する萱沼宅事件(①)の嫌疑を理由とする逮捕状を発付したこと、その際同裁判官に提出された証拠資料が前記の丙第四ないし第七号証と捜査報告書(丙第三、第六三号証)であつたことは、原告らと被告国との間において争いがなく、右の証拠資料によれば、当時原告二郎が萱沼宅事件(①)の犯行に共犯者として加わつた嫌疑があると判断するにつき相当の理由があつたと認められることは、既に前項において説示したとおりであり、他の本件全証拠を検討して見ても前記の萱沼宅事件(①)の逮捕状発付時に原告二郎に嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

4(第一回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

(一) 原告二郎が右の逮捕状によつて二月二一日東調布署において逮捕されたこと及び請求原因2項(三)の事実は原告らと被告国との間において争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、原告二郎は、右のとおり逮捕された直後の同日午前九時一〇分頃、高橋刑事から被疑事実の要旨を告げられ弁解の機会を与えられた際、萱沼宅事件(①)の犯行を完全に否認したが、その日の午後再び高橋刑事の取調を受けた際、一転して菅沼宅事件(①)事件ママの犯行を認め、弁解録取の際に否認したのは、KやSの仲間と「指紋をのこさなければ絶対警察には捕らない。警察に捕つても空巣のことや仲間のことは絶対に言わない」と固い約束をしていたからだと否認した理由を述べ、更に「今までの最高は、東工大で六二万円盗んだことだ」として東工大事件(②)と思われる事件のほかマンション、アパート、一軒家などで五〇件ほどの窃盗(金銭)を犯したことがあると述べ、萱沼宅事件(①)の詳細は明日述べる旨供述したが、翌二月二二日における高橋刑事の取調においては「昨日話したことは全部嘘ですので訂正して下さい」と述べて自白を翻えし、東工大から作業ズボンを盗み、電話機荒らし五〇回その他の窃盗をしたことはあるが、空巣は絶対にしていないと供述するに至つたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない(なお、原告二郎本人は、二月二一日の二回目の取調の際、高橋刑事から「SやKは犯行を認めている、お前も犯行を認めなければ帰さない」といわれ、かつ高橋から暴行を受けた趣旨を述べているが、この点については、後の取調の違法性の箇所において一括して判断する。)。

(二) <証拠>を総合すれば、原告二郎に関する萱沼宅事件(①)は、二月二三日東調布署から東京地方検察庁に対し、原告二郎の身柄と共に送致され、原告二郎は、その際における寺本検察官の取調に対し、萱沼宅事件(①)の犯行を全面的に否認したが、寺本検察官は、原告二郎が犯行を否認し、しかも余罪が多数あり、その捜査を終了しなければ、原告二郎につき処遇意見を決しがたいとして、同日午後四時四五分に東京地方裁判所裁判官に原告二郎の勾留を請求した(同日右勾留請求がなされたことは、当事者間に争いがない。)。なお、右勾留請求に当り寺本検察官から右裁判官に提出された証拠資料は、前記の丙第三ないし第七号証、第六三号証のほか、前項において認定した弁解録取書及び供述調書(丙第九ないし第一一号証)とKの二月二一日付の原田主任に対する萱沼宅事件(①)の自白調書(丙第六九号証)であつた。以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。そして、右の勾留請求に基づき東京地方裁判所裁判官が二月二四日に発付した勾留状により原告二郎が勾留されるに至つたことは、前記のとおり原告らと被告国との間で争いがなく、<証拠>によれば、原告二郎は、右裁判官による勾留質問の際も被疑事実を全面的に否認したことが明らかである。

(三) 以上において認定した事実関係によれば、S及びZは、その供述内容等に食い違いがあるにせよ萱沼宅事件(①)の犯行を大筋において認めているうえに、その共犯者とされた原告二郎も、それが真意に基づくものであるかどうかは別として、いつたんは、萱沼宅事件(①)犯行を自白していたのであるから、前記の勾留請求及びこれに基づく勾留状発付の各段階においては、担当検察官、裁判官が原告二郎に犯罪の嫌疑があると認めたことについては相当の理由があつたというべきであり、他の本件全証拠を検討して見ても、右認定を覆えして、右の各時点において原告二郎に犯罪の嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

二  第二回目の逮捕・匂留の違法性

1(当事者間に争いがない事実)

請求原因3項(三)の(1)、(2)の事実(東工大事件(②)による逮捕、勾留とその被疑事実並びに逮捕上請求時の証拠資料)は当事者間において争いがない。

2(第二回目の逮捕状請求までの捜査)

原告らは、右の証拠資料に含まれたS及びZの調書は、萱沼宅事件(①)の場合と同様、任意性及び信用性を欠くものであつて、これを除けば、原告二郎には、右の逮捕状請求及びこれに基づく逮捕状発付時、この逮捕を前提とする勾留請求及びこれに基づく勾留状発付時には、いずれも犯罪の嫌疑がなかつたと主張するので、これらの点について順次判断する。

(一) まず、S及びZの東工大事件(②)についての自白経過について検討して見ると、東工大事件(②)については、その発生直後に東調布署に被害届が提出され、かつその直後に東調布署員によつて被害現場の実況見分が行われたこと(前記丙第一五、第一六号証によれば、被害届は、昭和五一年一一月一七日に提出され、実況見分は、同月二〇日に行われたことが認められる)、Sは、既に一月一〇日頃東工大事件(②)と思われる事件につき取調を受けたことがあつたこと、更にSが二月一三日に作成したS自供書中には、東工大事件(②)と思われる事件がS、原告二郎、Zの共同犯行として記載されていたことは、前記第二、一、2の(一)、(二)において認定したとおりである。そして、<証拠>によれば、右実況見分当日被害現場から犯人の遺留品と見られる小型バール一本が発見され、東調布署員により領置されたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(二) <証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 高橋刑事は、前記東工大事件(②)の被害届、実況見分調書、遺留品の発見及び領置の各書類によつて、S自供書中の東工大に関する事件が東工大事件(②)であることを確認した。そして、高橋刑事は、S自供書によれば東工大事件(②)についてZも関係していることを佐藤刑事に伝えたところ、佐藤刑事も、二月二三日夕方東調布署に任意出頭したZを東工大事件(②)についても取調べたところ、Zは、Sが東工大事件(②)について自白したことに驚きながら同事件の犯行を認めるに至つた。そして、佐藤刑事は、翌二四日任意出頭したZを再度取調べたところ、同所の地理に疎い佐藤刑事には、Zの東工大構内についての供述が容易に理解できなかつたため、とりあえず、Zにつき引当り捜査を実施することにし、その日のうちに並木刑事らとともにZを自動車に同乗させて東工大まで赴き、Zに対し、侵入方法、窃取場所等の犯行内容について説明を求めたところ、Zは、東工大事件(②)の共犯者がS、原告二郎及びKであるとしたうえ、自発的に侵入経路等を説明しながら、佐藤刑事らを東工大本館建物地下一階にある同大学職員組合事務室に案内し、同室入口脇のガラス窓を示して、右ガラス窓が同室への侵入口であることを説明し、更に、同室外の中庭に放置されていたロッカーを示して、右ロッカーが本件犯行当時同室内にあり、右ロッカーの中にあつた手提金庫をバールでこじ開け、右金庫の中から現金約六二万円を盗んだことなど犯行態様について具体的に説明するに至つた。

(2) また、高橋刑事は、二月二四日Sを東工大事件(②)の犯行について取調べたところ、Sが東工大構内は広いため現場にいかないと説明しにくい旨述べたため、Sについても引当り捜査が必要であると考えたが、当時東工大に学園紛争が起きていたことから、手錠をかけた少年を引当り捜査に同行することは妥当でないと判断し、同人に対する引当り捜査は実施しないこととし、Sが、原告二郎ら三人とともに本館建物内に入つたうえ、大型金庫のある大きい部屋(厚生課室、東工大厚生課室事件(⑧)の犯行場所)及び東工大事件(②)の犯行場所である事務室のような部屋に侵入し、それぞれ室内から金品を盗んだ旨供述したので、その旨を供述調書に録取した(丙第二一号証)。佐藤刑事も、翌二五日任意出頭したZを取調べ、昨日の引当り捜査の際にZが供述した点を確認しながら、Zの東工大事件(②)の犯行がZ及びS、原告二郎、Kの共同犯行である旨の供述をそのまま供述調書に録取した(丙第二二号証)。

(3) その後、原田主任及び高橋刑事らは、萱沼宅事件(①)によつて勾留中の原告二郎及びKを東工大事件(②)についても取調べたところ、両名は、その犯行を否認したのであるが、高橋刑事が、三月三日再度、試験観察中のSに任意出頭を求めて取調べたところ、Sは、あらためて、東工大事件(②)が、S、原告二郎、Z、Kら四人による犯行である旨供述するに至つた(丙第二三号証、なお、Z及びSが東工大事件(②)の犯行を認め、右事件に関する自白調書が作成されたことは当事者間に争いがない。)。

そして、前記S証人及び前記高橋本人の各供述中、右の認定に反する部分は、前掲各証拠に照して措信することができないし、他に右認定に反する証拠はない。

(三) 次に、原告らは、東工大事件(②)についても、S及びZの供述内容が、相互に矛盾し、かつ実況見分調書に示される現在の状況と矛盾していることから、S・Zの各自白調書はいずれも信用性がない旨主張するので、この点について検討する。

まず、東工大事件(②)が東工大厚生課室事件(⑧)と同一機会の連続犯行とされていること、Sの自白調書(丙第二一号証)には、Sが、本件の侵入及び逃走方法に関し、原告二郎ら三人とともに本館建物の正面入口から同建物に入つたうえ、厚生課室に侵入し、その後いつたん本館建物外に出てから、Sがバールで職員組合事務室のガラス窓を破つたうえ、Sらが右窓から同室内に侵入し、再び「入つたところ」から逃走した旨の供述記載があること、Zの自白調書(丙第二二号証)には、同人の右厚生課室への侵入についての供述記載がないこと及び実況見分調書(丙第一六号証)には、職員組合事務室のガラス窓の破損状況について、ガラス一枚が取り外され外に置かれていた旨の記載があること、以上の事実は当事者間に争いがないところであり、原告らは、東工大事件(②)と東工大厚生課室事件(⑧)との関係をかなり重要な問題点として指摘するのであるが、ここで問題とされるのは、東工大事件(②)による逮捕状請求から勾留状発付までの訴訟行為の違法性であつて、当時既に東工大厚生課室事件(⑧)の被害届が東調布署に提出され、同署員によつて被害現場の実況見分がなされていた(<証拠>によれば、右の被害届及び実況見分の日は、昭和五一年一一月一七日と認められる。)ことは前記認定のとおりであるが、右の逮捕状請求から勾留状発付までの段階において、東工大厚生課室事件(⑧)の捜査が現実になされていた形跡は、本件記録上これを認めるに足る資料が存在しないのである。よつて、右事件と東工大事件(②)との関連についての判断は、後述するところに譲り、ここでは、東工大事件(②)に関してのみ検討することとする。

ところで、右の当事者間に争いがない事実と<証拠>によると、前記SとZの供述との間には、例えば、S、Z、原告二郎及びKの四名が東工大の構内に立入るにつき、「いつもよく開いているテニスコートの近くにある幅一メートル位の門から入つた」(S)のかそれとも「体育館の所の塀を掲示板を利用して乗越え、橋を渡つてから下のテニスコートやグランドの方に出た」(Z)のかなど不一致の部分が見られないではないのであるが、両供述は、犯行の日時及びその方法としてSがバールでガラス窓を破つて、前記の四名が職員組合事務室内に侵入し、物色のうえ、同室内にあつたロッカーの扉をこじあけ、その中にあつた手提金庫に収納されていた現金を窃取した点においては一致していることが認められ、また前記丙第一六号証(実況見分調書)には被害現場の状況として「ガラス一枚が全部取りはずされ外においてあつた又窓枠にはドライバーようの工具痕がある」旨の記載がなされていることが認められ、この記載によれば、犯人の侵入場所の窓ガラスは、外されたものであつて破られたものではないと解されないでもないのであるが、前記丙第一五号証(被害届)には、被害の模様として明確に「窓ガラスを破り、室内に侵入し」と記載されていることが認められるのであつて、この記載と前記丙第一六号証の記載とを併せて読めば、前記実況見分調書の記載は、窓ガラス一枚が破られ、その跡の窓枠に付着していたガラス片が取り外されて外におかれていたと解し得ないのではないのであつて、必ずしも前記S及びZの供述と矛盾するとまではいい難いし、また<証拠>によれば、犯行の用に供されたと思われるバールが現場で発見され、領置されているのである。

以上の事実によれば、SとZとの供述の間には、一部食い違いがあるが、犯行日時、場所、被害品、犯行態様等について大筋において一致し、かつ被害届、実況見分調書の記載並びにZに対する現場引当り捜査の結果ともほぼ一致しているのであるから、岸本課長において、原告二郎が本件犯行に共犯者として加わつた嫌疑があると判断したことにつき、相当な理由があつたと認められるのであつて、他の本件全証拠を検討して見ても前記の東工大事件(②)の逮捕状請求時に原告二郎に嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

3(第二回目の逮捕状発付の違法性)

大森簡易裁判所裁判官田中寿夫が岸本課長の請求に基づき三月四日原告二郎に対する東工大事件(②)の嫌疑を理由とする逮捕状を発付したこと、その際同裁判官に証拠資料として提出された資料が前記の丙第一五ないし第一八号証、第二一、第二二号証と捜査報告書であつたことは、原告らと被告国との間において争いがないところであり、右の資料によれば、当時原告二郎につき、東工大事件(②)についての犯罪の嫌疑があると認めるにつき相当の理由があつたことは、前説示のとおりであり、他の本件の全証拠を検討して見ても、右の認定を覆えして原告らの主張事実を肯認するに足る資料は見当らない。

4(第二回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

(一) 原告二郎が右の逮捕状によつて三月四日逮捕されたことは、原告らと被告国との間において争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、原告二郎は、右のとおり逮捕された直後の同日午後三時四〇分頃佐藤刑事から東工大事件(②)の被疑事実の要旨を告げられ弁解の機会を与えられた際、その犯行を否認したのをはじめとし、三月五日原田主任の取調を受けた際も同様否認し、原告二郎に関する東工大事件(②)は、三月六日東調布署から東京地方検察庁に対し、原告二郎の身柄と共に送致され、原告二郎は、その際における渡辺検察官の取調に対しても同様犯行を否認し、同検察官は、同日午後四時五〇分東京地方裁判所裁官官に原告二郎の勾留を請求した(同日右勾留請求がなされたことは当事者間に争いがない。)。一方Kも、原告と同じ日に東工大事件(②)の嫌疑で逮捕され、逮捕直後の三月四日午後三時三五分頃原田主任から東工大事件(②)の被疑事実の要旨を告げられ弁解の機会を与えられた際、その犯行を否認したが、同月五日に高橋刑事の取調を受けた際には、東工大事件(②)がK、原告二郎、S及びZの共同犯行であることを認め、原告二郎と一緒に事件を身柄と共に東京地方検察庁に送致され、その際における渡辺検察官の取調に当つても、東工大事件(②)は、右のとおり四人の共同犯行であつて、Kは一六万円の分前をとつた旨供述し、原告二郎と同時に勾留請求をされるに至つた。なお、右各勾留請求に当り渡辺検察官から裁判官に提出された証拠資料は、前記の丙第一五ないし第二二号証のほか右において認定した原告二郎及びKの弁解録取書及び供述調書(甲第九、第一〇号証、乙第一三、第一四号証、丙第二五、第二六号証)であつた。以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。そして、右の勾留請求に基づき東京地方裁判所裁判官が三月六日発した勾留状によつて原告二郎が勾留されるに至つたことは原告らと被告国との間において争いがなく、<証拠>によれば、同裁判官による勾留質問の際、Kは、前同様東工大事件(②)の被疑事実を認めたが、原告二郎は、これを否認したことが明らかである。

(二) 以上の事実関係によれば、東工大事件(②)について、渡辺検察官が原告二郎の勾留を請求し、前記裁判官がこの請求に基づき勾留状を発した各時点において、原告二郎に犯罪の嫌疑があると認めたことについては相当の理由があつたというべきであり、他の本件全証拠を検討して見ても、右認定を覆えして、右各時点において、原告二郎につき犯罪の嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

三  第三回の逮捕・勾留の違法性

1(当事者間に争いがない事実)

請求原因3項(四)の(1)、(2)の事実(二俣宅事件()による逮捕・勾留とその被疑事実並びに逮捕状請求時の証拠資料)は、当事者間において争いがない。

2(第三回目の逮捕状請求までの捜査)

(一)  まず、二俣宅事件()の捜査の端緒について見ると、二俣宅事件()の捜査の端緒が、捜査記録上、三月二二日における原告二郎案内にかかる円融寺境内での下着の発見とその際の同原告の供述とされていること及び三月一四日付捜査報告書(後記の甲第一一一号証)添付の一覧表には、二俣宅事件()が原告二郎らの余罪として記載されていることは原告らと被告東京都との間において争いがなく、被告東京都は、二俣宅事件()については、右下着の発見と原告二郎の供述によつて、はじめて右事件の被害届が提出されていることが確認され、同事件の被害が判明するに至つた旨主張し、前記佐藤証人及び前記原田本人は一部これに副う供述をするのであるが、<証拠>によれば、原田主任が、遅くとも三月一四日までには、右被害届の存在を確認のうえ、二俣宅事件()を原告二郎らの余罪として把握していたことが認められ、これと矛盾する右佐藤証人及び原田本人の各供述は措信することができず、他に被告東京都主張の事実を認めるに足る証拠はない。むしろ、既に認定した原田主任、高橋刑事らが東調布署に派遣された経緯に加え、後記のように原告二郎が三月初旬以降多数の窃盗事件の犯行を認めるに至つていたこと及び前記甲第一一号証を総合すると、当時原田主任及び高橋刑事らは、同署管内で起きていた窃盗事件の被害届を予め手元に置き、更にはこれを検討のうえ、原告二郎らの自白する事件と犯行の時期、手口、被害品の種類等の点で類似する事件については、原告二郎らの余罪として捜査し、又は捜査することを予定していたであろうことは、推認するに難くないところであり、右甲第一一一号証によれば、二俣宅事件()もその例外ではなく、原告主任及び高橋刑事らが、既にその被害届の記載内容を検討し、原告二郎らに対し、右事件の犯行の有無につき一応の取調を行つていたものと考えられるのである。この点に関し、前記佐藤証人、前記原田本人及び高橋本人は、一致して、原告二郎らに対する窃盗事件の捜査のほとんどすべてにおいて、原告二郎らの供述が最初で、原田主任及び高橋刑事らは、その後の引当り捜査によつて具体的な被害事実を確認してからこれに一致する被害届の有無を調べるという捜査方法をとつていた旨供述するが、右各供述自体がいわゆる口裏を合わせた作為的供述ではないかとの疑が濃いものであつて、到底そのまま採用できるものではない。

(二)  次に二俣宅事件()の捜査経過について検討して見ると、

(1) <証拠>を総合すれば、原田主任は、三月二二日午前中、原告二郎が指輪、時計などの賍品の隠し場所へ案内する旨述べたため、瀬尾刑事らとともに原告二郎を自動車に同乗させ、その引当り捜査を実施したところ、原告二郎は、自宅近くの円融寺に原田主任らを案内し、同寺の墓地において、原田主任らに対し、右の隠し場所として石の積まれた箇所や灌木付近の箇所等を指示したため、原田主任らはスコップで同箇所をそれぞれ掘つたが、何も発見されなかつたこと、そこで、原田主任らが更に墓地の周囲を捜索しようとしたところ、原告二郎が、ニヤニヤしながら、「そつちはまずいですよ」、「そつちへは行きたくない」等と言つて、先へ歩いて行くことを躊躇したため、原田主任らは、原告二郎の右の態度に疑いを抱き、瀬尾刑事がその付近を捜索したところ、塀のところに立てかけられていた電線枠(約一メートル位の大きさの円型のもの)の陰に置かれていたビニール袋が発見されたこと、右ビニール袋の中には、女性用の下着が入つており、原田主任が、原告二郎に対し、右の下着について説明を求めたところ、原告二郎は、「だからこちらへは来たくなかつた」などと述べながら、右の下着について、日記帳を盗んだところから一緒に盗んで来たものと友達の女性の部屋から盗んできたものであり、警察から取調べられるおそれがあつたのでそこに隠した旨説明し、瀬尾刑事が、右ビニール袋の中から二、三枚の下着を取り出して、原告二郎に対し示したところ、原告二郎は右の下着につき自己が盗んだものに間違いない旨確認したこと、右ビニール袋の中には、更にもう一つのビニール袋が入つていて、それぞれの袋の中には各一〇枚の女性用下着類が入つていたこと、そして、瀬尾刑事は、右引当り捜査終了後、東調布署において、右合計二〇枚の下着の領置手続を行い、一点ずつ遺留品として整理したが、その際、高橋刑事が、瀬尾刑事を補助し、同人の作成した右下着の発見経過についての下着メモ等を参考にして、瀬尾刑事作成名義の遺留品発見報告書(丙第二九号証)を作成したこと(なお、右報告書が作成されたのは三月二二日であつて、その作成日付につき三月二三日とされているのが誤記であることは、前記高橋本人尋問の結果から明らかである。)、一方、原田主任は、原告二郎の前記説明から、日記帳と下着が合わせて盗まれたという事件の被害届を調べたところ、前記のように既にその以前から原田主任らが原告二郎らに対して一応の取調を行つていた二俣宅事件()の被害届(丙第三二、第三三号証)がそれに該当することが判明したこと、また、瀬尾刑事は、右領置手続終了後(丙第三〇号証)、翌二三日夕方被害品確認のために東調布署に出頭した二俣和子に対し、右領置にかかる下着二〇点を示したところ、同女は、一点ずつ手に取つて点検しながら、最終的に右のうちベージュ色ガードル一点を被害品として確認したため、瀬尾刑事は、同女に対し、被害品確認答申書(丙第三五号証)を作成させたこと、以上の事実が認められ、原告二郎本人の供述中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照し、措信することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、前記遣留品報告書(丙第二九号証)には、原告二郎が、前記下着発見の際、右下着について二俣宅の外五軒位のところから盗んだ旨述べたことの記載があり、また、四月二〇日付原田主任作成の捜査報告書(甲第一二九号証)には、原告二郎が、右下着について、すべて二俣宅から盗んだ旨述べたことの記載があることは原告らと被告東京都との間において争いがないのであるが、原告二郎が、右の下着について、二俣宅の外数箇所から盗んだ旨説明していたことは、<証拠>によつて、十分これを認めることができ、従つて、右甲第一二九号証の記載は、原田主任が、約一か月後に右の報告書を作成するに当り、誤つて記載したものにすぎないものと認めるのが相当である。

(2) 次に原告二郎らに対する二俣宅事件()についての取調について見ると、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(イ) 原田主任及び高橋刑事らは、前記下着の発見と原告二郎の供述によつて、二俣宅事件()の犯行が具体的に明らかとなつたため、S、Z及びKに対し、前記領置にかかる本件被害品の下着を示したところ、Sらは、右下着が日記帳を盗んだ二俣宅から盗んだものかどうかを確定することはできなかつたものの、原告二郎が侵入先の部屋から女性の下着類を盗むことが多いことを供述した。

(ロ) そして、佐藤刑事は、任意出頭したSにつき二俣宅事件()の引当り捜査を実施したところ、Sは、佐藤刑事らを二俣宅のあるアパートさとし荘の前まで案内し、その向い側の民家の玄関先に埋められていた焼物の水がめを指示して、犯行現場がすぐ近くであることを説明した。その後、原田主任は、三月二五日Sを右事件について取調べたところ、Sは、原告二郎ら三人とともに大田区上池台のアパートの女性の部屋に侵入し、同室内から女性用下着、日記帳、指輪等を盗んだ旨供述するに至つたので、その旨を供述調書に録取した(丙第三六号証)。

(ハ) また、佐藤刑事は、三月二五日任意出頭したZを二俣宅事件()について取調べたところ、Zも原告二郎ら三人とともに東急池上線洗足池駅から上池台寄りのところにある木造二階建アパートの一階の部屋に侵入し、同室内から女性用下着、日記帳、指輪等を盗んだ旨供述したので、その旨を供述調書に録取した。

(ニ) ところで、原田主任及び高橋刑事らは、前記下着発見後、原告二郎につき二俣宅事件()の詳細な取調を行おうとしたが、原告二郎が、再び右事件の犯行を否認したり、前記被害届等から一緒に窃取されたことが明らかなパールの指輪についての処分先を秘匿するなどしたため、同人の供述調書を作成するには至らず、更に、原告二郎が、三月二五日東京家裁の観護措置決定により東京少年鑑別所に送致されたことから、その後、原田主任及び高橋刑事らは、同所に赴いて原告二郎を取調べたが、原告二郎は、依然として自白と否認の供述を繰返し、明確な供述をしなかつた。

以上の事実(但し、右のうち、S及びZが二俣宅事件()の犯行を認め、右事件に関する両名の自白調書が作成されたことは当事者間に争いがない。)が認められ、右認定に反する前記S証人及び原告二郎本人の各供述は、前掲各証拠に照し、措信することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  次に、原告らは、二俣宅事件()についても、S及びZの供述内容が、相互に矛盾し、かつ被害届に示される現場の状況と矛盾していることから、S・Zの各自白調書はいずれも信用性がない旨主張するので、この点について検討する。

まず、Sの自白調書(丙第三六号証)には、その犯行態様に関し、Sが、Kとともに二俣宅の窓から室内に侵入し、出入口ドアの錠を内側から開けて、原告二郎とZを室内に招き入れ、Sらが金銭目当てに室内を物色したが、現金が見つからなかつたため、女性用下着、日記帳、指輪等を窃取し、四人全員が右出入口ドアから逃走した旨の供述記載があること、また、Zの自白調書(丙第三七号証)には、Zが、原告二郎ら三人とともに二俣宅の窓から室内に侵入して物色したが、現金がなかつたため、女性用下着、日記帳、指輪等を窃取し、Zら四人全員が窓から逃走したか、或いはZ以外の何人かが出入口ドアから逃走した旨の供述記載があること、そして、被害届(丙第三二号証)には、被害の模様として、被害者二俣が、部屋の錠を全部かけて外出し、帰宅した際ドアの錠を開けて室内に入つた旨の記載があること、以上の事実は当事者間に争いがない。そして、右の事実によれば、二俣宅の侵入方法及び逃走方法に関し、原告ら主張のとおり、右のS及びZの供述記載が、右出入口ドアの施錠の有無につき被害届の記載内容と食い違つていることが明らかである。しかしながら、<証拠>によれば、Sは、昭和五一年一二月一九日午前一一時頃原告二郎ら三人とともに喫茶店「サントス」に集まつて窃盗の相談をし、午後二時頃二俣宅の部屋の窓を開けたKとともに同箇所から同室内に侵入し、Sが出入口ドアの錠を外して、原告二郎とZを室内に招き入れ、いつたんZに右出入口ドアの錠をかけさせたうえ、Sら四人が室内を物色し、茶ダンスの中からウイスキー一本、テレビの下から大学ノートの日記帳、タンスの引出しから女性用下着類約一三枚、更にパールの指輪一個を窃取し、午後二時三〇分頃部屋を出た後、それぞれが右賍品を持ち帰り、Sが右ウイスキーを自宅で飲んだことを供述していたこと、また、Zは、昭和五一年一二月一九日午後零時前頃喫茶店「サントス」へ行つて原告二郎ら三人と窃盗の相談をし、午後一時頃から侵入場所を探したうえ、二俣宅に侵入することとし、原告二郎とSがガラス窓をゆすつて開け、四人全員が同所から室内に侵入して物色し、女性用下着相当数、大学ノートの日記帳、指輪(白い玉のもの)一個、ウイスキー一本を窃取し、約三、四〇分後に部屋を出た後、日記帳については、歩きながら読んだ後破り捨て、女性用下着については、原告二郎とZが約二、三枚ずつ分配して持ち帰り、残りを捨てたことを供述していたことが認められ、他方、前記丙第三二ないし第三四号証(被害届及び実況見分調書)によれば、本件被害事実に関し、被害者二俣和子の説明等から、被害日時が昭和五一年一二月一八日午後八時三〇分頃から翌一九日から午後四時頃までの間であり、被害状況として、タンスの引出しが全部引き出され、タンスの中の衣類がかき回されており、右引出しの中から女性用下着類合計一六枚、水屋からウイスキー一本、その横のタンスの上に置かれていた箱型オルゴールの中からパールの指輪一個及び大学ノートB五版の日記帳一冊が窃取されたことが認められる。

しかも、<証拠>によれば、Sは、二俣宅の室内での行動について、同人が女性用パンティをズボンの上からはき、漫画の登場人物(「青田赤道」)の真似をしてふざけあい、また原告二郎がZの頭にパンティをかぶせて、原告二郎ら三人がZの頭を軽く叩いてふざけあつたこと、更に、原告二郎が前記日記帳を読み、そこに書かれた若い女性の心情を皆で笑いあつたことを供述し、また、Zも、同様に、原告二郎が発見し読み始めた右日記帳を皆で回し読みしたことを供述していることが認められ、更に、前記佐藤証人の証言によれば、Zは、二俣宅事件()についての取調の際、佐藤刑事に対し、Sが本件犯行当時二俣宅の室内において右漫画の登場人物(「青田赤道」)の真似をした様子を、自ら片足を上げながら再現してみせたことが認められるのであり、右のような行為は、原告二郎らのような少年がとる行動として十分理解できるものであるうえ、実際に行つた者でなければおよそ供述し得ない性質のものというべきである。

以上において認定した事実関係によれば、確かに、原田主任及び高橋刑事らが、本件捜査当時、二俣宅の出入口ドアの施錠の有無をより明確にするために、Sら及び二俣に対し右の点を確認するなどの捜査を行うべき必要があつたことは否定できないのであるが、前記本件被害品の発見状況及びSの引当り捜査の結果に加え、S及びZの供述が、犯行日時、場所、被害品、犯行態様、現場の状況等について、相互に一致し、かつ被害届、実況見分調書等の記載内容と一致していること、しかも、Sらが、二俣宅の室内での行動等を詳細かつ具体的に供述していたことを考慮すると、岸本課長が、原告二郎も二俣宅事件()の犯行に共犯者として加わつた嫌疑があると判断したことにつき、相当の理由があつたと認められるのであり、他の本件全証拠を検討して見ても、前記の二俣宅事件()の逮捕状請求時に原告二郎に嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

なお、原告二郎が三月八日に東工大事件(②)の犯行を認めて以後、Sらとともに一〇〇件以上の窃盗事件の犯行を行つた旨供述していたにもかかわらず、その賍品は、二俣宅事件()の被害品とされた女性用下着以外に発見されなかつたことは、当事者間において争いがなく、原告らは、このような事態は異常であつて、かかる事態の存在自体が、既に原告二郎らの前記供述の任意性ないし信用性を疑わせるものであつて、原告二郎には犯罪の嫌疑がなかつた旨主張するのであるが、逮捕・勾留については、犯罪の嫌疑につき相当の理由があれば足りるものであることは前記のとおりであり、二俣宅事件()についても、右にいう相当の理由があつたと認むべきことは、既に述べたとおりであるから、この主張についても、後記の取調の違法性の箇所において一括判断するにとどめることとする。

3(第三回目の逮捕状発付の違法性)

大森簡易裁判所裁判官佐澤利雄が岸本課長の請求に基づき、四月八日原告二郎に対する二俣宅事件()の嫌疑を理由とする逮捕状を発付したこと、その際同裁判官に提出された証拠資料が、前記の丙第二九、第三〇号証、同第三二ないし第三七号証と捜査報告書(甲第一〇〇、第一〇三号証)であつたことは、原告らと被告国との間において争いがないところであり、右の証拠資料(但し、甲第一〇〇号証を除く)によれば、当時原告二郎が二俣宅事件()の犯行に共犯者として加わつた嫌疑があると判断するにつき相当の理由があつたと認められたことは、既に前項において説示したとおりであり、他の本件全証拠を検討して見ても、前記の二俣宅事件()の逮捕状発付時に原告二郎に嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

4(第三回目の勾留請求と勾留状発付の違法性)

(一) 原告二郎が右の逮捕状によつて四月一一日東京少年鑑別所前の路上において逮捕されたことは、原告らと被告国との間において争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、原告二郎は、右逮捕直後の同日午後一時一五分頃原田主任から二俣宅事件()の被疑事実の要旨を告げられ弁解の機会を与えられた際、同事件の犯行を否認したものの「品物を出さなければならないのでやつていません。」と述べたが、同日重ねて原田主任の取調を受けた際、二俣宅事件()につき「弁解を聞かされたときは、やつたといえば、品物を出さなければならないのでやらないことにしてくださいと言いましたが本当は盗んだことにまちがいないのです。盗んだことは明日話します。」と述べて同事件の犯行を認め、更に翌四月一二日に原田主任の取調を受けた際、前記認定のS及びZの供述と大筋において一致する供述をして二俣宅事件()の犯行を認めたが、盗んだ品物はSと二人で隠したのであり、「盗んだ品物の隠し場所は絶対に言えません、僕は誰にどのように言われても盗んだ品物は出しません」と述べた。そして、原告二郎に関する二俣宅事件()は、四月一三日東調布署から東京地方検察庁に対し、原告二郎の身柄と共に送致され、原告二郎は、その際における松田検察官の取調に対しては、二俣宅事件()の犯行を全面的に否認し、松田検察官は、同日午後六時東京地方裁判所裁判官に原告二郎の勾留を請求した(同日右勾留請求がなされたことは当事者間に争いがない。)。一方Kも原告二郎と同じ日に二俣宅事件()の嫌疑で逮捕され、逮捕直後の弁解録取時には、右事件の犯行を否認したが、四月一二日佐藤刑事の取調を受けた際には、前記認定のS及びZの供述と大筋において一致する供述をして二俣宅事件()の犯行を認めた。Kに関する二俣宅事件()も、原告二郎に対する右事件と一緒にKの身柄と共に送致され、Kは、その際における松田検察官の取調に対しても同事件の犯行を認めたため、原告二郎と同時に勾留請求をされるに至つた。なお、右各勾留請求に当り松田検察官から裁判官に提出された証拠資料は、前記の丙第二九、第三〇号証、第三二ないし第三七号証と捜査報告書(甲第一〇〇、第一〇三号証)並びに右において認定した原告二郎及びKの弁解録取書及び供述調書(甲第六五、第六六、第六八号証、乙第二〇、第二二号証、丙第四一、第四二号証)であつた。以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。そして、右の勾留請求に基づき、東京地方裁判所裁判官が四月一四日に発付した勾留状によつて原告二郎が勾留されたことは、原告らと被告国との間において争いがなく、<証拠>によれば、同裁判官による勾留質問の際、Kは、前同様二俣宅事件()の被疑事実を認めたが、原告二郎は、これを否認したことが明らかである。

(二)  以上の事実関係によれば、二俣宅事件()について、松田検察官が原告二郎の勾留を請求し、前記裁判官がこの請求に基づき勾留状を発した各時点において、原告二郎に犯罪の嫌疑があると認めたことについては相当の理由があつたというべきであり、他の本件全証拠を検討して見ても、右認定を覆えして、右各時点において、原告二郎につき犯罪の嫌疑がなかつたと認めるに足る資料はない。

四  小括

以上のとおりであるから、原告二郎に対する萱沼宅事件(①)、東工大事件(②)及び二俣宅事件()の嫌疑の存在を理由としてなされた逮捕状請求とこれに基づく逮捕状発付及び勾留請求とこれに基づく勾留状発付には、いずれも違法の廉はなかつたというほかない。

従つて、以上の逮捕・勾留の違法を理由とする原告らの被告らに対する請求は、既に他の点についての判断をするまでもなく理由がないというべきである。

第三  取調の違法性

一  原告二郎の取調経過

請求原因2項(一)の(3)及び3項(二)ないし(四)の各(1)の事実は、当事者間において争いがなく、また原告二郎が、二月二一日萱沼宅事件(①)の嫌疑によつて逮捕されて以来、五月二七日東京家裁において釈放されるまで九六日間にわたりその身柄を拘束され、その間に萱沼宅事件(①)を含む多数の窃盗事件の犯行を自白するに至つたことも当事者間に争いがないところ、これらの自白がなされた時期、経緯等を概観すれば、次のとおりである。

1(第一回目の逮捕直後から第二回目の逮捕直前まで)

原告二郎の第一回目の逮捕直後から第一回目の勾留状発付時までの供述態度は、前記第二、一、4において認定したとおりであるが、<証拠>によれば、原告二郎は、二月二五日瀬尾刑事から萱沼宅事件(①)についての取調を受け、その際、当時原告二郎が通学していた都立大学附属高校定時制の試験が昭和五一年一二月一〇日から一二月一四日にかけて行われたので、同年一二月一一日は午後六時から午後七時まで試験を受けたうえ、友人宅に立寄り午後八時一〇分頃帰宅して以後外出しなかつたし、翌一二月一二日は終日自宅で試験勉強をしていて外出していないとして、右事件の犯行を否認し、次いで三月二日高橋刑事から右事件について取調を受けた際も右同様犯行を否認したうえ、二月二二日に同刑事の取調を受けた際右事件の犯行を認めた(丙第一〇号証)のは、逮捕状の被疑事実を読聞けられたことや刑事からヒントを与えられたことのほか原告二郎の勘と想像によるものである旨供述し、更に三月三日同事件について寺本検察官の取調を受けた際にも、右と同様の理由を述べて、その犯行を否認したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠がない。

2(第二回目の逮捕直後から第三回目の逮捕直前まで)

原告二郎の第二回目の逮捕直後から第二回目の勾留状発付時までの供述態度は、前記第二、二、4において認定したとおりであるが、<証拠>によれば、原告二郎は、三月八日原田主任から東工大事件(②)についての取調を受けた際、同事件及び東工大厚生課室事件(⑧)の犯行を認めたうえ、図面三葉まで作成して同事件の犯行経過を詳細に供述し、萱沼宅事件(①)についても前記のように、いつたん犯行を認めながら、その後否認し、また東工大事件(②)の犯行を否認したのであるが、原告二郎はその間の事情につき、Sが東工大ギター窃盗事件で逮捕された際、Kと同事件のことは話さないという約束をし、更に右のように同事件に自白した夜、年輩の留置場同房者から「お前は、そんな悪いことをやつたのか。お前は、特少に入れられる。」といわれ、それが怖しさに否認を続けたものの、その後、母の手紙でKも自白していることがわかり、嘘をつき通せないと思つた旨自白の動機を述べ、三月一〇日原田主任の取調を受けた際にも、右とほぼ同旨の自白の動機を述べたうえ、主として萱沼宅事件(①)の犯行経過を詳細に供述し、三月一一日原田主任の取調を受けた際には、三月九日から三月一一日までの間に行われた引当り捜査の結果を前提として宮松宅事件(⑩)、池田宅事件(⑪)及び朴木宅事件(⑫)の犯行を認める供述をし、更に同日原田主任に対し、木下宅事件(③)、石川宅事件(④)、竹田宅事件(⑤)、海老根宅事件(⑥)、藤原宅事件(⑦)、坂野宅事件(⑨)、石沢宅事件(⑬)、中川宅事件(⑭)、吉田宅事件(⑮)、市川宅事件(⑯)及び福地宅事件(⑰)の各犯行を認める供述をしたこと(なお、⑮及び⑯事件の犯行時刻は、三月一七日の原田主任に対する供述により別紙送致事実一覧表記載のとおり訂正)、原告二郎は、三月一二日寺本検察官の取調を受けた際、三月八日原田主任に対して述べたと同旨の自白の動機を述べ、東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)の犯行を認め、更に三月一七日寺本検察官の取調を受けた際には、別紙送致事実一覧表③ないし⑰の犯行を全部認めるに至つたこと、その後原告二郎は、三月一七日原田主任の取調を受けた際に大泉宅事件(⑲)、福田宅事件(⑳)、佐藤宅事件()の犯行を、翌三月一八日鈴木刑事の取調を受けた際戸塚宅事件(⑱)の犯行を、三月一九日原田主任の取調を受けた際、小林宅事件()、相原宅事件()及び鈴木宅事件()の犯行を、それぞれ認めるに至つたこと、以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

3(第三回目の逮捕直後から釈放時まで)

原告二郎の第三回目の逮捕直後から第三回目の勾留状発付時までの供述態度は、前記第二、三、4において認定したとおりであるが、<証拠>によれば、原告二郎は、四月一八日に鈴木刑事の取調を受けた際、二俣宅事件()の犯行を、四月二〇日高橋刑事の取調を受けた際、二俣宅事件()の犯行を、四月二五日高橋刑事の取調を受けた際、芳賀宅事件()の犯行を、それぞれ認める供述をし、四月三〇日松田検察官の取調を受けた際、前記二俣宅事件(及び)の犯行を認める供述をしたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

二  原告二郎に対する取調の違法性

1(自白の強要等)

(一) 原告らは、請求原因4項(一)の(1)において、原田主任及び高橋刑事らが原告二郎に対し、脅迫や利益誘導を加えて自白を強要したばかりでなく、犯行現場の状況についてヒントを与えたり、実況見分調書の添付写真を示したり又は犯行現場が何処であるかを暗示しながら引当り捜査するなど原告二郎を誘導、誤導し、内容虚偽の自白調書を多数作成したと主張し、前記S証人の証言及び原告二郎本人の各供述中にも、この主張と符合する部分があるので、以下、この点について検討する。

(二) 原告二郎が本件において第一回目の自白をしたのが、二月二一日における萱沼宅事件(①)についてであることは、前記のとおりであるから、まず、この自白の経過について見ると、高橋刑事が二月二一日にSを原告二郎に会わせたことは原告らと被告東京都との間において争いがなく、<証拠>を総合すれば、右のように高橋刑事がSと原告二郎と会わせたのは、原告二郎が萱沼宅事件(①)の犯行を自白する直前であるが、右の両名を会わせるに至つたのは、原告二郎の取調を担当していた高橋刑事が原告二郎に対し、SとZが右事件の犯行を認めている旨を話したところ、原告二郎がSに会わせてくれるように望んだためであつて、その際、高橋刑事は、Kの取調を担当していた原田主任と相談のうえ、当時玉川署附属留置場に勾留中のSを東調布署に呼び寄せ、東調布署二階の少年係の補導室において、原田主任と高橋刑事立会いのうえ、原告二郎及びKとSを会わせたところ、Sが原告二郎とKに対し、「やつたじやねえかよ、おれは全部話したぜ。」「本当にやつてないというのかよ、じや忘れないだろう、スカイダイビングだよ。」などと話しかけ、かつ「本当のことを言つてくれ。俺は早くここを出て高校の試験を受けたいんだ。」と泣いて頼んだため、原告二郎は黙り込み、補導室を出たところで声を立てて泣き崩れたが、その後、前記のとおり犯行を認めるに至つたことが認められ、また<証拠>によれば、原告二郎が翌二月二二日高橋刑事の取調の際に右の自白を翻えして同事件の犯行を否認するに当り、右事件の犯行を認めたのは、「やつたといえばすぐ出られるし、やらないといつても信用してもらえないからです。」と述べたことが認められ、また三月二九日東京少年鑑別所において原田主任と高橋刑事が原告二郎を取調べた際の状況を録音した録音テープの検証結果によれば、高橋刑事が右取調の冒頭で原告二郎に対し、「ね、早くここを出たいんだつたらさ、まじめになろうという人だつたらね、正直に話してもらいましよう」と語りかけていることが認められるし、更に、前記のように二月二二日に萱沼宅事件(①)の自白を撤回して同事件の犯行を否認するに当り、原告二郎が高橋刑事に対し、右自白の内容は、刑事から与えられたヒントと原告二郎の勘や想像によるものであると述べ、三月三日寺本検察官の取調時にも右と同旨の供述をしたことは、前記認定のとおりである。

右の事実関係によれば、原告二郎が萱沼宅事件(①)の犯行を自白するに至つた直後の契機がSとの面接にあつたであろうことは推認するに難くないところであるが、Sとの面接を希望したのは原告二郎であり、その際におけるSの発言内容や原告二郎の態度及び後記認定の原告二郎の東工大事件(②)の自白経過を参酌して考えると、原告二郎が萱沼宅事件(①)の犯行を認めた動機は、Sが真実のすべてを語つてしまつたため、原告二郎も既に逃れられない立場にあると悟つたからではないかと見得る余地も多いといわなければならないし、また前記の事実関係によれば、高橋刑事が原告二郎を取調べるに当り「本当のことをいえば早く出られる」等々の言葉を常々口にして、原告二郎に対し自白を慫慂したであろうことも推認するに難くないところである。そして、それらの行為が、前記のように当時一六歳の少年であつた原告二郎に対する取調方法としては、妥当性を欠くものであつたことはいうまでもないところであるが、その一事のみによつて、直ちに原告二郎に対する取調が違法になるとまではいい切れず、そのほか原告二郎が、高橋刑事に対し、前に自白したのは刑事のヒントによるものである旨供述したことは前記のとおりであるが、そのような捜査官の取調を非難する供述をそのまま容認し、これを調書に録取して残していること自体が当時の原告二郎に対する取調が比較的緩やかであつたことの証左であつたと見られるのみならず、右のヒントの点について見ると<証拠>によれば、原告二郎の共犯者として取扱われ、多くの場合その犯行を否認してきたKは、四月一二日佐藤刑事の取調を受けた際、警察で被害届を見せてもらつたことは、これまで一度もなく、写真を一、二度見せられたが、それは全くの写真だけで、字の書いてあるところは一度も見せてもらつたことがない旨供述していることが認められるのである。そして、以上に述べたところを総合して考えて見ると、前記のS証人及び原告二郎本人の各供述は、到底そのまま措信することができないし、他に原告らの前記主張を肯認するに足る資料もない。

なお、原告らは、前記のように、S及びZの萱沼宅事件(①)の自白は、高橋刑事らがSに対し「犯行を認めれば高校を受験させてやる」又はS及びZに対し「犯行を認めていないのはおまえだけだ。認めなければ少年院送りだ」など申向け、利益誘導や脅迫をした結果なされたものであつて、S及び Zの前記自白自体既に任意性も信用性もない旨主張するので、これについて検討すると、前記S証人の供述中には、この主張に副う部分も存在するのであるが、前記認定のようにS及びZは、既に引当り捜査の際に犯行現場を指示しているのみならず、右両名を萱沼宅事件(①)の嫌疑について取調べた高橋刑事らが、S及びZに実況見分調書等を示すなどして誘導したとすれば、前記認定のようにS及びZの自白と実況見分の結果に食い違いが生じていること自体が納得しかねるのみならず、<証拠>によれば、Sは、原告二郎が萱沼宅事件(①)で逮捕された後の二月二〇日頃、前記勾留先の玉川署に面会に来た母に対し、萱沼宅事件(①)のみならず、他の窃盗を犯したことを積極的に話し、二月二八日東京地方検察庁において寺本検察官の取調を受けた際も、右事件の自白を繰返し、更に前記のように三月二日東京家裁において身柄を釈放されて帰宅した当夜も、両親に対し自己の非行を謝罪しながら警察で供述したことがすべて本当である旨を話したことが認められ、またZも三月二日東京地方検察庁において寺本検察官の取調を受けた際、S同様萱沼宅事件(①)の犯行を自白したことが認められるのであつて、これらの事実からすれば、S及びZの前記自白は、むしろ任意になされ、しかも信用性があるものと認められるのであつて、前記S証人の供述は、到底そのままでは採用できない。

(三) 原告二郎が本件において第二回目の詳細な自白をしたのが、三月八日における東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)についてであること及びその後の自白経過は前記のとおりであり、しかも、原告二郎が右のように東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)の犯行を自白して以後一〇〇件以上の窃盗事件につき、その犯行を自白したことは当事者間に争いがない。そこで、まず三月八日における東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)の自白経過について見ると、<証拠>を総合すれば、原告二郎は三月三日頃Sが前記のように東京家裁において身柄を釈放された事実を知り、また、原告二郎の第一回目の逮捕以降殆ど一日おきに同原告との面会のために東調布署を訪れていた原告ウメ子は、三月五日原田主任の依頼によつて、「S、Z及びKも犯行を認めているのだから、本当にやつているなら正直に話しなさい、家族も心配しているから、早く出て来なさい」という趣旨の手紙を書いてこれを原田主任に渡したのであるが、原田主任は、三月八日原告二郎に右の手紙を渡して読ませたところ、同原告は、しばらく考えた後、前記のように東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)の犯行を自白し、更に、原田主任から交付された用紙に、自ら犯行を認めた窃盗事件一七件の概要を記載したことが認められ、また原告二郎が右の自白に当つてだけではなく、三月一〇日の取調の際も原田主任に対し、母の手紙によつてKも自白したことがわかり嘘をつき通せないと思つた旨自白の動機を述べたこと及びこの自白以後原告二郎が多数の事件の犯行を自白したことは、前記のとおりである。

(四) ところで、原告二郎本人は、右のように自白するに至つたのは、原告ウメ子の手紙を読み、既に母親にも信用されていないことを知つて自暴自棄となり、その後は原田主任らに誘導されるままに真実に反する供述を重ねた旨供述(なお、後記の賍品の隠し場所の捜査の場合はともかくとして、右の犯行の自白過程においての暴行、脅迫の存在については、原告二郎は特に供述していない。)し、原告らは、原告二郎の右自白が任意性及び信用性を欠く重要な根拠として賍品の未発見及び殺人事件についての捜査を挙げるので、この点について検討して見ると、

(1) 原告二郎は前記のように東工大事件(②)等の犯行を自白した後、Sらとともに一〇〇件以上の窃盗事件の犯行を行つた旨供述していたが、原告二郎らがその賍品の「隠し場所」として供述し、案内する自宅や公園等からは、二俣宅事件()の被害品とされた下着を含む女性用下着類以外には、賍品が全く発見されなかつたことは当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、原告二郎に対する取調は、主として賍品の発見について行われ、殊に原告二郎らが昭和五一年一二月三一日大田区田園調布本町一三番一九号渡辺礼之方で窃取したという純金製銚子及び金盃(時価一〇〇万円相当)の発見にその重点が置かれたが、原告二郎らの賍品の処分先に関する供述は、隠し場所及び預けてあるとする友人の名前等については目まぐるしく変遷し、原田主任及び高橋刑事らは、その都度右供述に基づいて、原告二郎らの案内する場所、殊に原告二郎の自宅の捜索を繰返したほか、東調布署管内の質屋等も調査し、更に、三月中旬頃原告二郎がSと相談して賍品を出すか否かを決めると申述べたため、東調布署内において、原告二郎とSを二人だけで会わせたり、合計五、六回にわたり、原告二郎が賍品を預けたという友人に原告二郎を会わせて原告二郎の供述の真否を確認しようとしたが、結局、これらの方法によつても、賍品は前記の女性用下着以外に何ひとつとして発見されなかつたため、原田主任らは、前記のように原告二郎が自白した事件のうち本件送致事件を含む前記事件を除くその余の事件についてはこれを検察庁に送致することを断念するに至つたことが認められる。また、本件の捜査当時、世田谷区下北沢で女性を被害者とする殺人事件があり、同事件の捜査本部が北沢署に置かれていたこと及び警察官が原告二郎から同事件につき事情を聴取し、四月二六日警視庁捜査一課において原告二郎に対しポリグラフ検査を行つたが、結局、原告二郎が同事件に関与していないことが明らかになつたことは原告らと被告東京都との間において争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、原告二郎は、第三回目の勾留中の四月中旬頃、原田主任による取調の際、窃盗に入つた家で人に見つかつたことがないかと質問され、世田谷区代田付近のアパートで女の人に毛布をかけ殴つたり蹴とばすなどして逃げてきたことがある旨答えたため、原田主任は、所轄の北沢署に対し、原告二郎の供述するような内容の事件の有無を問い合わせたところ、当時下北沢で起つていた前記殺人事件の犯行態様が原告二郎の供述内容と一部符合しているということから、右事件についての原告二郎の取調は、北沢署が行うことになつたこと、そして、その二、三日後、原田主任は、今福刑事及び北沢署の署員らとともに、原告二郎を自動車に同乗させて、従前のように二、三箇所の侵入窃盗事件の引当り捜査を行つたうえ、原告二郎に対し殺人事件の引当り捜査であることを告げずに同原告の供述にかかるアパートへ案内させたのであるが、その際、原告二郎は、右の殺人事件の犯行場所と判明していたアパートを指示することができなかつたこと、その後、原告二郎は、右の殺人事件について、北沢署において取調を受けたのであるが、原告ウメ子及び高橋弁護士と相談のうえ、四月二六日警視庁捜査一課においてポリグラフ検査を受けたところ、前記のように原告二郎が同事件に関与していないことが明らかになつたことが認められ、他の証拠を検討して見ても、原田主任が右の捜査に着手する以前から右殺人事件が原告二郎の犯行であることを疑い、右の捜査に着手したと認めるに足る証拠はないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2) そこで以上の事実関係に基づいて考えて見ると、まず殺人事件についての捜査については、原田主任が北沢署管内において発生したと思われる窃盗ないし準強盗の被害の有無について同署に照会したところ、偶々前記の女性殺人事件があり、その犯行態様が原告二郎の供述するところと一部符合していたことから、その捜査に着手したというだけであつて、原田主任が予め、右の殺人事件が原告二郎の犯行と見込んでその捜査に着手したとはいい難いのみならず、それについてなされた捜査も、事件の存在を知り一応の捜査をしたという以上のものとは認め難いのである。しかしながら、前記の賍品の未発見について見ると、自白された事件は一〇〇件にも及びその被害金品は膨大な数量にのぼるものと考えられ(<証拠>によれば、Sの犯行は九七件に及び、その被害総額は現金六四八万二三一九円及び指輪四七個、時計八個、ネックレス三本及び洋酒六五本のほか前記の純金製銚子及び盃とされていることが認められるのであるが、<証拠>によれば、右のSの犯行は、原告二郎らとの共犯関係においてなされたものとされていることが認められる。)るのであつて、このうち消費され易い現金はともかくとして、その他の物品について、女性用下着が発見された以外何ひとつ発見されていないということは、いかにも不自然であるし、これと前記第二、三、2、(二)において認定したとおり、原田主任らが東調布署管内に発生した多数の窃盗事件が原告二郎らの犯行にかかるものとする見込捜査をしていたことを考えると、前記一〇〇件にも及ぶ自白事件中には、あるいは、当時、早期釈放を希望し、又は自暴自棄状態に陥つていた原告二郎が原田主任らの質問に迎合し、内容虚偽の自白をしたものも含まれていたのではないかと考えられる余地もないではない。また、原田主任らも右一〇〇件のうちに、右のような虚偽の自白事件が含まれていないとも保し難いところから、全部が原告二郎の自白事件であるにもかかわらず、本件送致事件三一件を含む前記事件以外の事件を検察庁に送致しなかつたのではないかと考えられないでもないのであるが、本件において、証拠として提出された原告二郎の自白調書は、前記認定のとおり別紙送致事実一覧表記載の①ないし事件のものに限られ、その他の事件については、原告が、具体的には、いかなる時期に、いかなる形態で、しかも、いかなる内容の自白をしたのか、その詳細を知り得る資料は全く存在しないのである。そこで、以下項を改め、原告らにおいて明らかに犯罪の嫌疑がなかつたと主張する事件に限り、原告二郎の自白のすべてが真実に反すると認められるかどうかを検討することとする。なお、原告らは、右の自白過程において、原告二郎自身も原田主任や高橋刑事から暴行・脅迫(但し、後記第三、二、2において述べるところを除く。)を受けた旨主張し、原告二郎本人の供述中にこれに副う部分があることは前記のとおりであるが、以下において認定するところ及び前記原田、高橋の本人尋問の各結果に照して措信できないし、他に右認定に反する証拠はない。

(五)(1)(萱沼宅事件(①)について)

萱沼宅事件(①)の犯行に関するSとZの供述及びこの各供述と被害届、実況見分調書の記載との間に一部食い違いがあるところ、その食い違いの主たる点は、侵入場所であるサッシ戸の上に高窓があつたかどうか、ダンボール箱と古テレビは、もともと侵入場所近くに置かれていたかどうか、被害金は、和ダンスのどの引出しに収納されていたのかの三点であつたことは、前記第二、一、2、(二)において見たとおりである。そしてまた、<証拠>によれば、右犯行日時は、当初、S及びZの供述によれば、昭和五一年一二月一一日土曜日午後七時半から午後八時三〇分までとされていたのが、二月二三日及び二月二四日における佐藤及び高橋の両刑事の取調によつて、S及びZの右犯行日時についての供述が、昭和五一年一二月一二日日曜日の同時刻頃と訂正されるに至つたこと(右のように犯行の日が訂正されたことは当事者間に争いがない。)は、明らかである。

原告らは、右のような矛盾が生じたのは、原田主任らによる違法な誘導の結果であり、また犯行日時の訂正は、原告二郎のアリバイ回避を目的としてなされたものである旨主張するので、この点について見ると、<証拠>を総合すれば、萱沼宅事件(①)の被害現場には存在しない高窓があつたといい出したのは、二月一四日の高橋刑事の取調時におけるSであつたが、原田主任、高橋及び佐藤の両刑事は、この高窓の存在には全く注意を払わず、現場の確認もしていないだけでなく、原田主任は、三月八日原告二郎につき萱沼宅事件(①)の自白調書を作成するに当り、原告二郎からも、右高窓の存在及びテレビ、ダンボールの用法等につき、Sとほぼ同旨の供述を得たことが認められ、右認定に反する証拠はないし、また時を異にして取調を受けた原告二郎が何故そのようにSの供述と符節を合わせる供述をしたのか、その根拠を明らかにする証拠は本件記録上何処にも見当らないのである。右の事実と<証拠>によれば、原告二郎が右のように高窓の存在を云々するに至つたのは、高橋刑事からSの自白内容の説明を受けたか又は丙第七号証を閲読した原田主任が、これを鵜呑みにして原告二郎を誤導した結果であると確認するほかないのである。

次に、前記の犯行日時の訂正について見ると、原告二郎が前記二月二四日までの段階において、昭和五一年一二月一一日のアリバイを主張した形跡は見当らず(かえつて、<証拠>によれば、原告二郎が具体的事実を挙げてアリバイを主張し出したのは、二月二五日以降と認められる。)、<証拠>を総合すれば、Zは、二月二三日Zの当時のアルバイト先の「うつみ食堂」の経営者内海央夫とともに東調布署へ出頭したうえ、佐藤刑事に対し、昭和五一年一二月一一日は、午後一一時頃まで右食堂でアルバイトをしていたと思うことから、以前の供述は記憶違いによるものであり、萱沼宅事件(①)の犯行日を翌一二日日曜日と訂正する旨供述し(甲第一四一号証)、また、Zの右供述の訂正に基づき、高橋刑事が、二月二四日Sを同事件の犯行日について取調べたところ、Sも、右日曜日の午後四時三〇分頃自宅においてフジテレビの女子プロレスを観ていたときに、原告二郎が迎えに来たと思うことから、右事件の犯行日を昭和五一年一二月一二日日曜日と訂正する旨供述し(甲第一四二号証)、更に原田主任が二月二四日フジテレビ番組編成局に電話して、Sが供述する時間帯に女子プロレスが放映されたかどうか調査したところ、Sの供述に符合する放映がなされていた事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。右の事実によれば、前記の犯行日時の訂正には、合理的理由があつたというべきであつて、それがアリバイ回避目的でなされたとする原告らの主張は当らないとするほかない。

そこで、前記のような供述その他の矛盾によつて、原告らが主張するように、原告二郎には、萱沼宅事件(①)の犯罪の嫌疑がなかつたといえるかどうかについて考えて見ると、既に認定したようにS及びZの供述には信用性があり、しかも犯行日時、場所、被害品、犯行態様、現場の状況等について大筋において一致し、更に原告二郎も、前記のように三月一〇日にはほぼ前記Sの供述に合致する供述をしているのであるし、前記認定の二月二一日の原告二郎の同事件についての自白経過からすると三月一〇日における右の原告二郎の供述内容がすべて虚偽であるとは認め難いのみならず、前記のように供述その他に矛盾があつたとしても、この矛盾が原告二郎らによる萱沼宅事件(①)の犯行を全く不可能にする性質のものではないことを考えると、原告二郎の萱沼宅事件(①)についての自白は、その一部が前記のように原田主任の誤導によるものであるにせよ、そのすべてが虚偽であつたとはいい難いのである。

(2)(東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)について)

東工大事件(②)についてのS及びZの自白経過並びにその内容は、前記第二、二、2において認定したとおりであるが、右事件及び東工大厚生課室事件(⑧)についてのKの供述調書(後記甲第一三号証)には、Kが、厚生課室への侵入方法に関し、Zにおいて同室の高窓の下に棒二本を立てかけて足場を作つた旨の供述記載があり、また、原告二郎の供述調書(丙第二七号証)には、原告二郎が、自ら食堂の近くからモップ二本を持つてきて同所に立てかけた旨の供述記載があること、そして、実況見分調書(甲第二七号証)には、立会人が、右二本のモップにつき、同所においてあつたと思う旨説明した旨の記載があることは当事者間に争いがないところであるが、原告二郎は、前記第二、一、4において見たとおり、二月二一日午後高橋刑事から萱沼宅事件(①)の取調を受け同事件の犯行を自白した際、「今までの最高は、東工大で六二万円盗んだことだ」として東工大事件(②)の犯行を積極的に語つたことがあるばかりでなく、<証拠>によれば、原告二郎は、昭和五一年一〇月二七日から一二月八日まで東工大第二食堂でコック見習として働いたことがあり、第二食堂のある建物内にある厚生課室と職員組合事務室は知つていて、そこに金があるのではないかとわかつていたのでS、Z及びKを案内した。東工大構内には、体育館脇の約1.5メートルの高さのコンクリート壁を乗越えて入り、コート脇のトンネルを通つて第二食堂のある建物に向つた。厚生課室は窓が高い位置にあり、しかも全部施錠してあつたのでSがよじ登り一番左側の第二食堂側のガラス窓をバールで破つて錠を外し、四人が室内に入つて物色し、原告二郎は机の引出しから六三〇円位盗み、厚生課室の廊下側の戸から出て階段を降り、いつたん中庭に出たうえ、原告二郎の案内で職員組合事務室に向つた。職員組合事務室には、Sが入口ドアの縦八〇センチ、横四〇センチ位のガラスを破つて入り、物色したうえ、原告二郎がロッカー内に入つていた手提金庫を発見し、この金庫を持つて侵入場所から外に出たうえ、そこでKとSが、この金庫をこじあけたところ、中に書類とともに封筒に入つた現金六二万円が入つていたので、これを盗み、金庫はKかSがまた部屋の中にいたZに手渡した。その後再び厚生課室に戻り、原告二郎が廊下側のドアに施錠したうえ、最初の侵入場所から脱出した旨詳細な供述をしているし、<証拠>によれば、三月八日高橋刑事の取調を受けたKも、右のように六二万円を窃取した後、職員組合事務室から同室のドアを開けて廊下に出たうえ厚生課室に戻つた旨述べたほか、ほぼ右原告二郎と同旨の供述をしたうえ、右の取調の際、高橋刑事に対し、職員組合事務室に窓から侵入するときに、Sの破つたガラス窓の破片で右手薬指の関節のところを切つたことを供述したうえ、右切創痕を実際に見せたことが認められるばかりでなく、<証拠>によれば、Sも前記のように二月一三日の取調の際東工大事件(②)の捜査とは無関係に昭和五一年一〇月頃原告二郎、K及びZとともに東工大の鉄筋の建物のガラス窓を破つて侵入し現金六二万円を盗んだ旨自白しているのであつて、この供述もそのなされた動機ないし機会を考えれば極めて信用性が高いものといわなければならないのである。

そして、以上の事実と<証拠>を総合して考えて見ると、前記の厚生課室の高窓の下に立てかけてあつたモップ二本は、以前からその場にあつたのか又は原告二郎ないしZがその場に運んだのか(なお、前記丙第一三号証によれば、Kは、前記のようにZが立てかけたのは「長さ1.2メートル位、太さ四センチ位の棒二本くらい」と述べるが、前記甲第二六、第二七号証と対比すれば、それがモップを意味するものであることは自ら明らかである。)、職員組合事務室への侵入口となつたガラス窓は破られたのか外されたのか(この点については、既に前記第二、二、2において認定したとおりである。)、また職員組合事務室からの脱出口は、右のガラス窓かそれとも同室のドアかの食い違いと見られる点があるも、右は、いずれも微細な食い違いであり、殊に最後の点については、原告二郎及びKがそれぞれ自己の職員組合事務室からの脱出口について供述しただけで、他の者の脱出口については供述していないのであつて、原告二郎及びKの両供述が、それぞれ同室の別な箇所から脱出したことを否定し去るものではない以上原告二郎が前記のように侵入口から脱出したのに対し、Kが職員組合事務室の廊下側のドアから脱出したことも当然考え得ることであつて、右の食い違いによつて、直ちに原告二郎の犯罪の嫌疑が否定されるものとする原告らの主張は当らないというほかない。

なお、原告らは、「Sらが本館建物の正面入口から同建物内に入つてから厚生課室に侵入した」とするSの供述(前記第二、二、2)をとらえ、右供述から同室の廊下側の出入口ドアを施錠されていた以上、侵入することは絶対に不可能である旨主張するが、前記丙第二一号証によれば、Sは、右正面入口から本館建物に入つた後の厚生課室への侵入経路については、「どのようにして入つたか今思い出せません」と述べ、具体的な供述をしていないことが認められ、また、原告らは、Zが厚生課室への侵入について何ら供述していないことをもつて、SとZの供述の間に矛盾がある旨主張するが、前記丙第二二号証によれば、Zは、自分が見張り役をしている間に、原告二郎ら三人が本館建物内の他の部屋に侵入して物色したことがあつた旨供述していることが認められ、以上によれば右の各供述から厚生課室への侵入が不能ともいえないし、またSとZの供述が矛盾するといえないことはいうまでもない。

そして、以上に述べたところと、前記S及びZの自白経過を考えると、原告二郎の東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(⑧)についての自白が全く虚偽であつたことは認め難いのである。

(3)(海老根宅事件(⑥)及び藤原宅事件(⑦)について)

海者根宅事件(⑥)及び藤原宅事件(⑦)が昭和五一年一〇月二九日午後五時一〇分頃から同日午後五時三〇分頃までの連続犯行とされていることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右犯行時刻については、Zが二月二七日の取調において(丙第五四号証)、昭和五一年一〇月二九日午前一〇時三〇分頃と供述したほか、Sは、二月二六日の取調において(甲第二五号証)、原告二郎は、三月一一日の取調において(丙第五五号証)、Kは、三月一二日の取調において(丙第五六号証)、いずれも別紙送致事実一覧表⑥、⑦記載の犯行時刻と合致し又はほぼ合致する供述をしたことが認められる。

ところで、藤原宅事件(⑦)の被害届(丙第四五号証)には、被害日時として、昭和五一年一〇月二九日午前九時三〇分頃から午後一二時三〇分頃までの間とする記載があり、また被害の模様として、被害者藤原教雄の妻〓子が、同日昼頃帰宅した際に洋服ダンスの扉が開いているのに気付き、更に教雄が同夜右洋服ダンスを開けたところその中の引出しが勝手に開けられており、翌朝に至つて盗難にあつたことに気付いた旨の記載があることは当事者間に争いがないから、右被害届の記載どおりとすれば、原告ら主張のように、被害者は、既に同日昼頃には盗難にあつていたことになり、原告二郎、K及びSの供述する犯行時刻と食い違うことになるのであるが、原本の存在とその成立に争いがない丙第四六号証(答申書)によれば、藤原〓子は、藤原宅事件(⑦)の家裁送致後である四月二七日付をもつて、前記の昭和五一年一〇月二九日は、昼頃いつたん帰宅したものの、その後再び外出して同日午後六時頃帰宅し、夕食の準備をしたうえ帰宅した夫と夕食を共にしていると、隣の海老根宅に刑事が来ているので隣は泥棒に入られたらしいと思つたが、自宅の被害には気付かず、翌日午前一〇時頃夫が洋服ダンスを開けて見て、はじめて盗難にあつたことに気付いたとしたうえ、被害時刻を昭和五一年一〇月二九日午前九時三〇分頃から午後六時三〇分頃までの間と訂正するに至つたことが認められ、しかも前記甲第二二、第二三号証によれば、藤原宅事件(⑦)と連続犯行とされている海老根宅事件(⑥)の被害時刻は、昭和五一年一〇月二九日午前七時頃から午後六時三〇分頃までの間とされ、かつ同日午後七時三〇分から午後八時までの間、東調布署員によつて右被害現場の実況見分がなされていることが認められるのであつて、この事実によれば、藤原宅事件(⑦)の当初の被害届における被害時刻の記載の訂正は根拠があつたものと認められ、前記高橋利明証人の証言によつて成立を認める甲第一三三号証の記載も、前記丙第四六号証の記載とは必ずしも抵触するとは認め難いのであつて、原告二郎らの前記の藤原宅事件(⑦)の犯行時刻についての供述が、信用できないものであるとまでいうことはできないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

また、海老根宅事件(⑥)及び藤原宅事件(⑦)については、原告二郎、K及びZの各供述調書(丙第五四ないし第五六号証)には、原告二郎らが、ベランダ側のガラス窓の上方の高窓から侵入し、右ガラス窓から逃走した旨の供述記載があることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右二件において、被害者は、いずれも、ベランダ側の高窓の錠をかけてはいなかつたものの、その下方のガラス窓については錠をかけて外出したところ、海老根宅事件(⑥)に関しては、犯行後右ガラス窓の錠が開けられていたことが明らかになつたが、藤原宅事件(⑦)の被害届及び実況見分調書には、被害発見後の右ガラス窓の施錠の有無については、何らの記載もなされていないことが認められる。しかしながら、右のように藤原宅事件(⑦)の被害届及び実況見分調書に右ガラス窓の錠が外されていた旨の記載がないことだけをもつて、前記の原告二郎、K及びZの供述が、右の被害届及び実況見分調書の記載内容と著しく食い違つているとはいえないことは、いうまでもないところである。

そして、以上に掲げた全証拠を総合すれば、原告二郎についても、海老根宅事件(⑥)及び藤原宅事件(⑦)についての自白が全く虚偽であつたとは認め難いのである。なお、前記甲第二五号証によれば、Sは、右二件の侵入方法及び逃走方法に関し、各部屋の出入口ドアの脇のガラス窓をドライバーで窓枠ごとはずし、Kが室内に侵入して各部屋で犯行を行つた後、再び右窓から部屋の外へ出た後、右窓枠を元どおりにして逃走した旨供述していることが認められ、右の供述が原告二郎らの前記供述とは全く異なるだけでなく、前記の両事件の被害届及び実況見分調書の記載とも抵触するものであることは明らかであるが、前掲の各証拠を総合すれば、右のような結果が生じたのは、二月二六日にSを取調べた高橋刑事が、被害状況についての捜査を全くせず、Sの供述するままに調書を作成したことによるものと認められるのであつて、右の被害届、実況見分調書並びに原告二郎、K及びZの供述と対比すれば、右のSの供述の方が信用できないというほかないのであつて、右のSの供述は、前記認定の妨げとはならない。

(4)(朴木宅事件(⑫)について)

原告二郎、S及びKの供述調書(丙第四九号証及び後記の丙第五一、第五二号証)には、原告二郎ら三人が、いずれも、朴木宅への侵入方法に関し、Sが石川台ハイライズ一六階の外廊下から樋を登つて屋上に上り、原告二郎ら三人は屋上に通ずる内階段を上り、その鉄扉を乗り越えて屋上に出たうえ、Sがロープを使つて朴木宅のベランダに降りるのを助けた旨の供述記載があり、また、Zの供述調書(後記の丙第五〇号証)には、Zが原告二郎ら三人とともに右鉄扉を乗り越えて屋上へ出た旨の供述記載があり、更に、右各供述調書には、逃走方法に関し、原告二郎ら四人が、朴木宅の玄関ドアから部屋の外へ出た旨の供述記載があること、そして、被害届(丙第四七号証)及び実況見分調書(丙第四八号証)には、被害の模様及び現場の状況として、被害者朴木聖子が部屋の戸締りをして出勤し、帰宅した際玄関ドアの錠を開けて室内に入つたが、右鍵穴にはマッチの軸が詰められていて、鍵が差込めなかつた旨の記載があること、更に、右鉄扉とその天井との間の隙間部分に鉄柵が設置され、人が右鉄扉を乗り越えることが不可能となつていること、以上の事実は当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、Sが二月二五日、Zが二月二六日、原告二郎が三月一一日、Kが三月一二日にそれぞれ朴木宅事件(⑫)について取調を受けた際、予めロープ、ドライバー及び石塊を準備したことや、同事件の犯行の日時、場所、犯行現場の状況及び被害品等について概ね相互に一致した供述をし、しかも右各供述が右事件の被害届及び実況見分調書の記載とほぼ合致していたことが認められるが、<証拠>によれば、右鉄柵は、昭和五一年一一月一一日に設置され、朴木宅事件(⑫)の犯行当時既に存在していたものと認められる。もつとも、右鉄柵の存在については、前記原田本人は、右事件についてのSの引当り捜査の際、石川台ハイライズの管理人から、右鉄柵は朴木宅事件(⑫)後に設置されたものであるとの説明を受けた旨供述し、また、前記丙第五〇号証には、Zが、二月二六日の取調の際、引当り捜査の結果をふまえ、右鉄柵が本件犯行後に設置されたものである旨説明したことの供述記載があるのであるが、前記甲第一一〇号証によれば、原田主任が、前記のように、朴木宅事件(⑫)に関し、右鉄柵が存在したことを現地において確認したのは、原告二郎が五月二七日東京家裁において、同事件について「非行事実なし」の審判を受けた(<証拠>によれば、Kも同日右事件について原告二郎と同様の審判を受けたことが明らかである。)後、この審判を契機に同事件の再捜査をした際であることが認められるのであつて、前記原田本人の供述中、Sの引当り捜査時に前記鉄柵の設置時期を石川台ハイライズの管理人に確めたとする部分は到底措信することができないし、前記Zの鉄柵の存在に関する供述も、当時既に鉄柵の存在に気付いていた原田主任及び直接Zの取調に当つた佐藤刑事が供述の辻褸を合せるために誤導した結果、なされたものと推認するほかない。そうして見ると、右鉄柵の不存在を前提とする原告二郎らの前記の朴木宅への侵入方法についての供述部分が真実に全く反するものであることは明らかである。

また、前記当事者間に争いがない事実と<証拠>によれば、被害者朴木聖子は、帰宅した際、朴木宅の玄関ドアの鍵穴にマッチの軸が詰められていたため、鍵を差込めず、管理人に連絡したうえ、右の錠を開けて室内に入つたことが認められるのであり、この事実によれば、朴木聖子の帰宅時には右玄関ドアは施錠されていたものと考えざるを得ないところ、前記の当事者間に争いがない事実と<証拠>によれば、原告二郎、K、S及びZは、当初朴木宅の玄関ドアを開けて、そこから室内に侵入しようと企て、それが誰であつたかはともかくとして右ドアの鍵穴にドライバーを差込んでガチャガチャしたところ、その先端部分が折れたため、原告二郎とZが供述するようにドライバーの折れた破片を取ろうとしてか又はKが供述するように原告二郎の発案で帰宅した家人により右玄関ドアを開けられて犯行を発見されないようにするためかはともかくとして、マッチ棒を右ドアの鍵穴に詰め、そのうえで、Sが石川台ハイライズの屋上へ出たうえ、ロープを使つて朴木宅のベランダに降り、ガラス戸を破つて室内に侵入し、室内から玄関ドアを開けて、既に、その玄関前に来ていた原告二郎、K及びZを朴木宅内に招き入れ、その後K一人を残して原告二郎らは、右玄関ドアから室外に出ていたところ、Kが金員を窃取して右のドアの所から出てきたので、四人揃つてエレベーターを使つて石川台ハイライズから脱出したことになつているという点においては、原告二郎らの供述は、大筋において一致していることが認められるのである。ところが、前記のように被害者朴木聖子が帰宅したときに右玄関ドアが施錠されていたという状態が、何時、誰によつて、いかなる方法によつて作出されたのかについては、本件の全証拠を検討して見ても、これを確認するに足る資料がない。もちろん錠の構造いかんによつては、鍵を用いずに施錠できるものも市販され存在していることは公知の事実であり、朴木宅の錠は、あるいはこの種の錠ではなかつたかと推測し得る余地もないではないのであるが、この錠の構造に関する捜査も全くなされていないことは、本件記録上明らかである。そうして見ると、原告二郎らが朴木宅事件(⑫)の犯行後、揃つて玄関から脱出したとする前記原告二郎らの供述が、客観的真実に反する蓋然性は、極めて高いものというほかないのである。

そして、右において述べた鉄柵の存在並びに玄関の施錠は、単なる犯行現場と原告二郎らの供述の抵触というだけではなく、原告二郎らの朴木宅事件(⑫)の犯行それ自体の否定につながるものであつて、到底、前記萱沼宅事件(①)における高窓の存在その他と同日に論ずることのできる性質のものではなく、朴木宅事件(⑫)につき、家庭裁判所が「非行事実なし」と認定したのは、極めて当然であつたというほかないのである。しかしながら、原告二郎らの前記供述のすべてが虚偽と認められるべきものであるというと、必ずしもそうはいえないのであつて、<証拠>によれば、S、Zらは、朴木宅事件(⑫)の引当り捜査時に犯行場所として石川台ハイライズないし朴木宅を指示した事実が認められばかりでなく、前記丙第一〇号証によれば、原告二郎は、前記のように二月二一日高橋刑事から萱沼宅事件(①)についての取調を受けた際、同事件の犯行を認めるとともに、K、S及びZと共同して行つた他の窃盗事件にも触れ、その犯行場所と犯行の方法について、原告二郎らは、大岡山の喫茶店「サントス」に集つて犯行場所を相談するのであるが、盗みに入る鍵物はアパート、マンションが主で侵入に当つては「錠のところをこじ開けたり、マンションなどでは屋上からロープで下の部屋に入つたり、雨どいをつたわつて入つたり」いろいろするが、「私達は玄関の錠などにマッチ棒やつまようじを入れて家の人が帰つて来て錠がすぐ中に入らないようにしている。だから私達の入つたマンションやアパートの玄関の錠には必ずマッチ棒かようじが入つている。この方法はKが教えてくれたものだ。」と供述したことが認められ、この供述が朴木宅事件(⑫)と全く関係のない萱沼宅事件(①)の取調の際になされたものであるから、捜査官の誘導や誤導が入り込む余地はなく、高度の信用性があると考えられるばかりでなく、前記第三、三、1、(一)において認定した二月二一日におけるSと原告二郎との面接の際、Sの口をついて出た言葉並びに前記S証人の証言と原告二郎本人尋問の結果を総合すれば、朴木宅事件(⑫)は、既にその捜査が開始される以前から原告二郎やSの間で「スカイダイビング」事件と呼ばれていたのではないかと推認できる余地も多いし、これらの事実と前記認定の用に供した証拠によつて認められる原告二郎らの捜査官に対する供述内容、殊に犯行日時、場所及び被害に関する各供述が大筋において一致している事実とを総合して考えると、朴木宅事件(⑫)は、侵入方法のうち鉄扉を乗越えて屋上に出たとする点及び朴木宅からの脱出方法の点はともかくとして、原告二郎らの共同犯行ではなかつたかとの疑いが極めて濃厚であると見られるものである。また、前記のように犯行現場の状況と原告二郎らの供述の間に矛盾が生じたのは、前記の認定経過によれば、原田主任らが杜撰極まる捜査によつて、現場に鉄柵の存在しないことを確めずに、鉄柵が存在しないことを前提として原告二郎らを取調べ、また朴木宅玄関ドアの錠の捜査を怠つたまま原告二郎らの供述調書を作成したことによるものであつて、原田主任らの誤導の結果と推認し得る余地も多いのである。

以上のとおりであつて、朴木宅事件(⑫)については、前記認定のように原告二郎らの供述と犯行現場の客観的状況との間に矛盾があり、この矛盾は、犯行の成否に決定的な影響を及ぼす性質のものであることはいうまでもないところであるが、矛盾の生じた原因が右のとおり推定できる余地があり、原告二郎の供述の一部が前記のように極めて信用性が高く、しかも、犯行態様を如実に示すものを含むものであることを考えると、原告二郎の朴木宅事件(⑫)の犯行に関する自白の一部が虚偽であるにせよ、そのすべてが虚偽であつたとは断定できないのである。

(5)(二俣宅事件()について)

二俣宅事件()の捜査経過については、既に前記第三、2において詳細に認定したとおりであり、殊に、S及びZの供述内容が、本件二俣宅の侵入方法及び逃走方法に関し、相互に食い違い、また右各供述が、二俣宅の出入口ドアの施錠の有無に関し、被害届の記載内容と食い違いがあることは、そこで見たとおりであるが、<証拠>によれば、原告二郎も四月一二日原田主任から同事件についての取調を受けた際、二俣宅への侵入に当つては、Kが窓から入つて出入口ドアを開けて原告二郎、S及びZの三人を室内に招き入れ、その犯行後二俣宅からの脱出に当つては、原告二郎ら右三人は出入口ドアから出たが、Kは、出入口ドアの錠を内側からかけて、侵入したガラス窓から逃走した旨Sとほぼ同旨の供述をし、また、四月一二日に同事件につき佐藤刑事の取調を受けたKは、二俣宅への侵入方法については、右の原告二郎と同旨の供述をし、二俣宅からの脱出方法については、原告二郎、Kらの四人が右の出入口ドアから出た旨供述したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告らは、二俣宅事件()の犯行当時、二俣宅の出入口ドアは施錠されていたのであつて、右出口は、同事件の真犯人の侵入及び逃走には使用されなかつた旨主張するので、この点について検討して見ると、<証拠>によれば、二俣宅の出入口ドアは、本件被害当時、片引戸であり、廊下側から向つて左側に、外側からも内側からも開閉できる錠が、また、右側に、外側からしか開閉できないねじ込み錠が、それぞれ取り付けられていたことが認められ、また、右甲第九六号証には、被害者二俣和子は、右事件の被害に遭う前日の昭和五一年一二月一八日に外出する際、何時ものことなので、右の二つの錠をかけ、翌一九日に帰宅したときも、この二つの錠を外したことを良く記憶している旨の記載があることが明らかである。

そこで、まず甲第九六号証の右記載の信用性を検討して見ると、前記丙第三四号証によれば、二俣和子は、本件被害当時、同室のガラス窓の錠をかけ忘れていたことが認められ、また、前記甲第八六、第八七号証(二俣宅事件()の被害届及び実況見分調書)によれば、同女は、二俣宅事件()に先立つ昭和五一年七月三〇日の盗難被害(二俣宅事件())のときにも、ガラス窓につき、中途半端な錠のかけ方をしたために、同箇所から窃盗犯人に侵入されていることが認められるのであり、右の事実によれば、二俣和子が居室の施錠につき甲第九六号証に記載されている程神経質であつたとは考えにくいし、出入口ドアの錠のうち、外側からも内側からも開閉できるものだけを施錠し、外側からしか開閉できないねじ込み錠の施錠が不十分であつたことが十分考えられるのであつて、右の記載はたやすく措信できるものではない。

また、原告らは、前記甲第九六号証中に、女性用下着を盗まれた整理ダンスの上に貯金箱が置かれていた旨の記載があることから、原告二郎らが金銭目当てに二俣宅へ侵入したのであれば、右貯金箱に手を付けないことは考えられない旨主張するが、右の記載自体もその裏付を欠くものであつて、たやすく措信できるものではない。

そして、前記認定のとおり、二俣宅事件()の被害品の一部である女性用下着が原告二郎の案内した場所から発見されている事実を考えると、原告二郎の自白の方がより信用できるというべきであつて、前記丙第四二号証によつて認められる右自白の内容と前記第二、三、2において事実認定の用に供した証拠を総合して考えると、右の自白が虚偽であつたとは認め難いのである。

(6) (その他の事件について)

なお、原告らは、本件送致事件のうち、以上において見た事件以外の事件に関する原告二郎の自白も、すべて虚偽であつて、原告二郎には犯罪の嫌疑がないことが明らかである旨主張するけれども、本件の全証拠を検討して見ても、この主張を肯認するに足る資料はない。

(六)(小括)

以上の事実、殊に(五)において認定した事実によれば、原告二郎が本件送致事件の犯行を認めた供述のうちには、萱沼宅事件(①)における高窓の存在、朴木宅事件(⑫)における鉄扉の上の鉄柵の存在のように原田主任ら捜査官の誤導によるものとする以外にその原因が考えられないものがあるばかりでなく、前記第二、三、2において認定したように、二俣宅事件()については、原田主任らが見込捜査をしていたことは明らかであり、この事実と、前記第三において認定したように、原告二郎は、三月八日に東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(③)の犯行を自白して以来、一挙に数多くの事件の犯行を自白するに至つたこと並びに前記のように萱沼宅事件(①)、朴木宅事件(⑫)及び二俣宅事件()の自白が、右東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(③)の自白に相次いでなされていることを考えあわせると、原告二郎が東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(③)の自白を契機に多くの犯行を自白するようになつてからは、原田主任ら捜査官は、原告二郎のこの態度に乗じて原告二郎に対して誘導的発問を繰返しながら数多くの事件の犯行を自白させたのではないかとの疑念を払拭することができないのであり、前記のように原告二郎が一〇〇件にものぼる窃盗事件の犯行を自白したのに、その賍品は、二俣宅事件()における女性用下着一点が確認された以外他には何も発見されず、結局原田主任らは、前記の本件送致事件三一件以外の侵入盗事件については、原告二郎の自白にかかわらず、その真実性を保し難いものとして、これらの事件についての検察官送致を断念せざるを得なかつたと見られる点も、この間の事情を物語るものと考えることができるのである。そして、前記認定の東工大事件(②)及び東工大厚生課室事件(③)についての原告二郎の自白についてはともかく、その後における他の事件の犯行の自白については、原告二郎本人尋問の結果によれば、当時原告二郎自身もいく分自暴自棄状態に陥り、犯行の細部については、捜査官の質問をそのまま肯定する態度に出ていたことが認められるのであり、この事実と右に述べたところを総合して考えると、前記のように原告二郎の供述の一部が犯行現場の客観的状況と抵触するに至つたのは、原告二郎の取調に当つた原田主任らが、原告二郎が少年であり、しかも右のような心理状態にあることを全く配慮することなく、漫然として、自らの杜撰な捜査を前提に誘導的な発問をした結果と推認せざるを得ないのである。そして、右のようにしてなされた原告二郎に対する取調が、少年の被疑者に対する取調方法として、著しく不当であることは、既に多言を要しないところであるが、少なくとも本件送致事件三一件に関する限りにおいては、右の結果として全く虚偽の自白をさせたとまでは認め難いことは前記認定のとおりであるから、右のような取調が行われたにかかわらず、いまだ本件送致事件三一件についての取調自体を違法と評価することはできないとするほかないのである。なお、原告らは、以上において認定したように原告二郎の取調過程において、原告二郎をSに面接させたこと及び原告二郎を殺人事件の容疑で取調べたことが違法であるとするが、その経緯は前記認定のとおりであつて、これらを違法と評価することができないことはいうまでもない。そして、他の本件の全証拠を検討して見ても、以上の認定を覆えして原告らの主張を肯認するに足る資料はない。

2(暴行、脅迫及び侮辱)

(一) まず、原告らが請求原因4項(二)において主張する暴行の有無について検討して見ると、原告二郎本人は、右の主張に副う供述をし、殊に、原田主任及び高橋、鈴木の両刑事は、四月中旬頃の午後、東調布署の二階において、原告二郎が賍品を出さないとして、両手錠の原告二郎を椅子にかけさせ、腰ひもをその椅子にくくりつけ、部屋のカーテンを閉め切つたうえで、約三〇分間にわたつて、交々手拳で原告二郎の腹部や背部を殴りつけ又は突きとばし、そのため原告二郎が転倒すると毛髪をつかんで引起こしたうえ、更に殴りつけ、果ては、高橋刑事において原告二郎をその場に土下座させ、その背後にまわつて腕で原告二郎の首を締めあげ、原告二郎が失神せんばかりの状態に陥るよう暴行を加えたと供述するのである。そして、<証拠>を総合すれば、高橋弁護士が四月二三日東調布署において原告二郎に面会したところ、原告二郎が高橋弁護士に対し「殴られたり、こづかれたりすることは屡々ある。一週間くらい前には刑事達に首を締められて一時気が遠くなつた。」旨述べたので、高橋弁護士が警察に抗議しようと述べたところ、原告二郎が、以前猪原弁護士が、刑事達が夜遅くまで原告二郎を取調べることにつき検事に抗議したところ、そのあとで刑事達にこづかれ、いじめられたので抗議はしないで欲しい旨申出たため、高橋弁護士は、原田主任らに対しそのことを抗議しなかつたことが認められ、また前記寺本証人の証言と前記原田本人尋問の結果によれば、猪原弁護士と原告ウメ子が三月七日頃寺本検察官を訪ね刑事の原告二郎に対する取調につき右趣旨の抗議をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右の事実によると原告二郎の前記供述は、信用性があるとも見られるのであるが、前記原告二郎本人尋問の結果によると、原告二郎が前記のように暴行を受けたと供述する部屋は、比較的狭い部屋をカーテンで区切り、その一方が家事相談室であつて、一般人が時折出入するところであり、原告二郎が暴行を受けたとする部分には、素通しの窓になつていてカーテンもなく、外から部屋を見ることができるような構造になつているのであつて、前記のように原告二郎が閉められたとするカーテンは、右の家事相談室との仕切用のカーテンであつたことが認められるのである。そして原告二郎が暴行を加えられたという部屋の構造が右のとおりであり、しかも、それが人の出入の絶えた深夜であつたならば格別、そのような証拠もない本件において、原告二郎本人が供述するような暴行が加えられたとするには躊躇を感ぜざるを得ないし、また右のような激しい暴行が加えられたとすれば、原告二郎にも、例えば、皮下出血又はそれによる痣などそれ相応の痕跡が残つて然るべきであるにかかわらず、そのような痕跡があつたことを認めるに足る証拠もないのであつて、原告二郎が前記のように高橋弁護士に口止めをしたのは、むしろ、原告二郎の述べたことが真実に反するからではなかつたとすら推量できないでもないのである。以上のとおりであつて、前記原告二郎本人の供述は、結局その裏付けを欠き採用することはできないし、他に前記の暴行の存在を肯認できる資料はない。

(二) 次に原告らは、原田主任及び高橋刑事が、四月末頃原告二郎が食事を拒否したため、韓国人を父に持つ原告二郎の顔に米飯をなすりつけ、「日本人が作つた米が食えるのか」として原告二郎を侮辱したと主張し、原告二郎本人の供述中にも、これに副う部分があるが、前記原田及び高橋の本人尋問の各結果によれば、原告二郎は、東調布署附属留置場に勾留されている間に食事を拒否した事実がなかつたことが認められ、この事実に照せば、原告二郎本人の前記供述は、たやすく措信できないし、他に右の主張事実を肯認できる資料はない。

(三)  <証拠>を総合すれば、原告二郎及びSは、既に、両名が昭和五一年三月一四日頃目黒区下目黒三丁目七番九号スナックエムこと宮田正康方から洋酒三八本、ゴルフ道具一式その他を窃取したとする事件についての取調を受け、その犯行を認めていたにもかかわらず、前記のように賍品が発見されなかつたことから、原田主任は、三月二〇日頃東調布署の取調室において、右被害者で原告二郎らと面識のない宮田正康を勾留中の原告二郎及び同署に任意出頭したSと面接させたうえ、原告二郎らに対し、「スナックエムの宮田さんだ、宮田さんが早くゴルフ道具を返してくれといつているから出してやれ」と述べたことが認められるが、右の各証拠によれば、宮田正康は、服装及び髪型から見て、一見して暴力団員風に見える男であり、また現に暴力団員であつて、原田主任もその事実を知つていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。前記原田本人は、右のように勾留中の原告二郎らに宮田正康を面接させたのは、捜査に慎重を期するため、被害者に来てもらつて原告二郎らの述べているところを聞いてもらう以外に目的意図はなかつた旨供述するのであるが、少年である窃盗事件の被疑者と一面識もない暴力団員の被害者を面接させること自体が既に異常かつ非常識であつて、少年法の目的とするところと背馳するものであり、前記原田本人の供述自体が何ら合理的な説明にならないことはいうまでもないし、他にその合理性を裏付けるに足る証拠はない。そして、右事実と当時原田主任が、前記認定のように原告二郎が犯行を自白した事件の賍品の発見に苦慮していたことを総合すると、前記S証人及び原告二郎が供述するように、その際原田主任が原告二郎らに対して「宮田は住吉連合の大幹部だ、おまえらああいうことをしたらただではすまない。」などと述べたかどうかはともかくとして、右原田主任の行為は、原告二郎らに対して賍品の所在を自白させることだけを目的として被害者である暴力団員を原告二郎らに面接させ、原告二郎らが右の賍品の所在を自白し、これを返還しなければ、後日原告二郎らに対し、被害者から危害が加えられることを暗に告知して脅迫したものと評価されてもやむを得ないものであつて、この原田主任の行為は違法と評価するほかない。

3(アリバイ捜査の懈怠)

原告らは、原告二郎が本件当時都立大学附属高校定時制に通学していたことは明らかで、本件送致事件中には、原告二郎のアリバイが当然成立し又は成立する蓋然性の高い事件が含まれていたのであるから、原田主任及び高橋刑事らは、原告二郎のアリバイ捜査を十分行うべきであつたのに、これを怠つた旨主張するので、この点につき検討する。まず、原田主任及び高橋刑事らが、三月初旬に後記の三浦回答書(丙第四四号証)を入手していたことは当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、東調布署刑事防犯課は、原告二郎の第一回目の逮捕後、二月二六日付で都立大学附属高校校長に対し、原告二郎の就学状況を明らかにするために、在籍の有無、編入学年月日、出欠状況及び校内における素行等につき照会を行い、同校校長から三月二日付の三浦回答書を入手したこと、右回答書は、当時原告二郎の在籍していた同校第一学年A組の担任であつた同校教輸安藤重明が作成したものであるが、これによれば、原告二郎は昭和五一年九月一日同校第一学年に編入学したが、同年九月中に欠席二回、早退一回、一〇月中に欠席四回、早退六回、一一月中に欠席七回、早退五回、一二月中に欠席二回、早退二回、昭和五二年一月中に欠席二回、早退四回、二月中(但し、第一回目の逮捕時まで)に早退三回をしたものとされていることが認められ、更に<証拠>によれば、都立大学附属高校定時制の授業時間は、第一時限が午後五時二五分から午後六時一〇分まで、その後給食を経て、第二時限が午後六時三五分から午後七時二〇分まで、第三時限が午後七時二五分から午後八時一〇分までとされ、午後八時一五分から午後九時までの第四時限はクラブ活動の時間とされているほか、考査前の授業は第二時限までとされていること及び三浦回答書においては、昭和五一年九月一一日、同年一〇月一二日、同年一一月二二日及び同月二七日は、いずれも原告二郎が登校していたとされていることが認められるのであつて、この事実だけからすれば、別紙送致事件一覧表記載の⑤、⑩、⑪、⑬、⑭、、及びの各事件については、原告二郎につきアリバイの成立する余地があつたというべきであるが、<証拠>によれば、原田主任らは三浦回答書を得た後、都立大学附属高校に電話したり又は直接出向いたりして、原告二郎の時限毎の出欠状況を具体的に調査しようとしたが、前記の安藤教諭が詳細な回答を拒否したため、それ以上の捜査をすることができなかつたこと及び前記の各日のそれぞれの時限における原告二郎の出欠状況を具体的に記載した安藤回答書は、高橋弁護士の照会に基づき五月二三日頃安藤教諭から同弁護士に送付され、同弁護士が家庭裁判所に提出したものであつて、東調布署に提出されたものではなかつたことが認められ、他に右認定に反する証拠がない。

そして、前記の⑤、⑩、⑪、⑬、⑭、、及びの各事件につき原告二郎が自白していたこと及び右自白の時期については、前記第三、一、1において認定したとおりであるが、更に、<証拠>を総合すれば、原告二郎らが高橋刑事の取調を受けた際、「昭和五一年一〇月頃からは学校に殆ど行つていない」旨供述し(丙第一〇号証)、また三月五日原田主任の取調を受けた際「昨年九月一日から都立大学附属高校定時制に編入し、学校は午後五時二五分から午後九時までであるが、昨年はよく学校をさぼり、早退していた」旨供述し(丙第二六号証)、また、Sも、原告二郎が学校に行くふりをして家を出た後、Sらと一緒に遊んだりするなど、遅刻や早退をすることが多かつたことを供述し、原告二郎の級友も、学校の出欠確認の方法等について、遅刻や早退の基準が明確でなく、自宅学習も出席扱いとされ、教師に代わつて生徒が出欠をとる場合があるなど、同校の出欠確認が曖昧であることを供述していたこと、そして、原告二郎は、原田主任及び高橋刑事らに対し、前記の各事件について具体的な理由を述べたうえでアリバイの主張をしたことは一度もなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実関係によると、原告ら主張のとおり、前記⑤、⑩、⑪、⑬、⑭、、及びの各事件につき、原告二郎にアリバイが成立するかどうかはともかくとして、原告二郎の取調を担当した原田主任や高橋刑事らが、原告二郎につき右各事件についてのアリバイが存在しないものとして捜査を続行したとしても、そこには無理からぬ事情があつたと認めざるを得ないのであつて、他の本件の全証拠を検討して見ても、右の認定を覆えして原告らの主張を肯認するに足る資料はない。

なお、萱沼宅事件(①)について、S及びZの犯行日に関する供述が昭和五一年一二月一一日から同月一二日に訂正されたこと及び吉田宅事件(⑮)及び市川宅事件(⑯)について、原告二郎ら四人の犯行時刻に関する供述が一斉に訂正されたことは当事者間に争いがないところであるが、このうち萱沼宅事件(①)についての右供述の訂正経緯については、既に、前記第三、二、1、(五)において認定したとおりであるから、ここでは、吉田宅事件(⑮)及び市川宅事件(⑯)についての供述の訂正が原告ら主張のようにアリバイ回避の目的でなされたかどうかについてのみ検討することとする。

まず<証拠>によれば、当初、原告二郎ら四人は、いずれも、吉田宅事件(⑮)の犯行時刻を昭和五一年一二月九日午後六時頃、原告二郎、K及びSは、市川宅事件(⑯)の犯行時刻を同月一七日午後六時頃とする供述をしていたことが認められ、更に、<証拠>によれば、Kが、三月一四日佐藤刑事による取調の際、吉田宅事件(⑮)の犯行時刻について、勤務先の株式会社宅建において勤務後食事をして外出したのが前記の一二月九日の午後八時三〇分頃から同九時頃の間であり、その後喫茶店「サントス」へ行き、原告二郎、S、Zら三人とともに窃盗の犯行場所を探したのであるから、吉田宅に侵入したのは同日午後一一時三〇分頃であり、以前に同日午後六時頃と供述したのは記憶違いである旨申述べたこと、また、Kは、同様に、市川宅事件(⑯)の犯行時刻について、市川宅での犯行後、大岡山駅へ行く途中喫茶店「サントス」が既に閉店しているのを見たことから、市川宅に侵入したのは前記の一二月一七日午後一〇時五〇分頃であり、以前に同日午後六時頃と供述したのは記憶違いである旨申述べたこと(丙第五七号証)、そこで、原田主任及び佐藤、鈴木の両刑事が、原告二郎、S、Zの三人を右犯行時刻の点について再度取調べたところ、原告二郎ら三人とも吉田宅事件(⑮)の犯行時刻を前記の一二月九日午後一一時頃と訂正する旨供述し、また市川宅事件(⑯)の犯行時刻に関し、S及びZが同月一七日午後一一時頃、原告二郎が同日午後一一時一〇分頃とそれぞれ訂正する旨供述したこと(丙第五八ないし第六〇号証)が認められ、他に右認定に反する証拠はない。ところで右のように共犯者間において供述の一部に食い違いが生じた場合、そのいずれが真実であるかを確かめるのは捜査官として当然なすべきことであつて、Kの供述の変更に伴い、原田主任らが更に原告二郎、S、Zを取調べ、ほぼ一致する供述を得たからといつて、それだけで右の取調及びその際になされた供述が不自然であるとすることはできないし、他の本件全証拠を検討して見ても右の供述の訂正が原告ら主張の目的意図のもとになされたことを認めるに足る資料はない。

4(小括)

以上のとおりであるから、原告二郎に対する取調の違法性を理由とする原告らの被告東京都に対する請求(この請求が被告東京都のみに対する請求であることは、原告らの主張自体によつて明らかである。)は、前記第三、二、2において認定した脅迫の点を除き、他の点についての判断をするまでもなく理由がないというほかない。

第四  家裁送致の違法性

一  検察官による家裁送致

請求原因2項(二)、(1)の事実は、前記のとおり原告らと被告国との間において争いがなく、この事実と<証拠>によれば、萱沼宅事件(①)は、三月四日に、東工大事件(②)及び別紙送致事実一覧表記載の③ないし事件は、いずれも三月二五日に、二俣宅事件()及び別紙送致事実一覧表のないし事件は、いずれも五月二日に、別紙送致事実一覧表記載のないし事件は、いずれも五月二六日までに、広畠検察官から東京家裁に送致されたことが認められ、また東京家裁が五月二七日請求原因2項(二)、(2)記載の理由により本件送致事件全部について「非行事実なし」との審判をしたことも前記のとおり原告らと被告国との間において争いがない。そして、前掲の各証拠と弁論の全趣旨を総合すれば、右の家裁送致は、いずれも原告二郎につき、本件送致事件につき少年法四二条所定の犯罪の嫌疑があるとしてなされたものであることは、これを認めるに充分である。

二  違法な家裁送致と権利侵害

1原告らは、右の家裁送致は、検察官において捜査も遂げず、原告二郎に犯罪の嫌疑がないことが明らかであるにもかかわらずなされたものであつて違法であるとしたうえ、原告二郎は、右家裁送致それ自体及び家裁送致によつてその身柄を拘束されたことにより権利を侵害された趣旨の主張をするのであるが、右の家裁送致が違法であつたかどうかの判断は暫く措き、まず、検察官によつてなされた家裁送致によつて、原告らが主張するような権利侵害が発生するかどうかについて判断する。

2少年の被疑事件の家裁送致と対比すべきものとして、少年の被疑事件についての公訴の提起があり、違法な公訴の提起がなされた場合、被告人として指名された少年につき権利侵害の結果が発生するに至ることはいうまでもないところであるが、少年の被疑事件を家裁送致することによつて、その少年の権利が侵害されるかどうかを判断するに当つては、公訴の提起が違法になされた場合、何故権利侵害が発生するのかを最初に考えておく必要がある。

まず、公訴が提起された場合、被告人にとつて有罪判決を受ける危険が具体化しかつ表面化するのは当然で、この危険が検察官によつてなされた公訴の提起それ自体に結びつけられた効果であることは、いうまでもないところであるし、また裁判所は、公訴の提起があつたときは、遅滞なく起訴状の謄本を被告人に送達しなければならない(刑訴法二七一条)のであるから、被告人自身は、これによつて、当然右の危険に直面せざるを得ない状態におかれるのであつて、既に公訴の提起それ自体によつて多大な精神的苦痛を受けることがあり得ることは、いうまでもないところである。のみならず、刑事訴訟における対審は公開が原則であつて(憲法三七条、八二条)、被告人が公開法廷において審理及び判決を受ける権利は、被告人の基本的な権利のひとつとして保護されなければならないことは当然であるとしても、無実の被告人にとつては、このように公衆の面前にさらされ、罪責の有無についての詮議を受けなければならないことによつて、名誉その他の人格権を侵害されるに至るであろうことは否定することができないところであり、しかも右の公開審理がなされることも、検察官の公訴提起それ自体の直接的な効果にほかならないのである。更に、起訴前に勾留された被疑者につき法定の期間内に公訴が提起された場合、その勾留の期間は、刑訴法六〇条二項により、原則として、公訴の提起があつた日から二か月間とされるのであつて、この公訴提起後の勾留が、公訴提起の直接的効果であることはもちろん、この勾留が無実の被告人に対する人格権ないし財産権の侵害につながるものであることも否定することができないのである。

以上のように考えると、犯罪の嫌疑がないにもかかわらず違法に公訴が提起された場合にあつては、権利侵害の発生を否定する特別の事情がない限り、被告人につき権利侵害があつたものと認めざるを得ないのである。

3そこで、少年の被疑事件について、犯罪の嫌疑がないのに違法に家裁送致された場合も、右と同様に観念することができるかどうかについて見ると、まず事件が家裁送致された場合、少年にとつて将来少年法二四条所定の保護処分を受けることもあり得るという一般的かつ抽象的な危険が生ずるであろうことは否めないところであるが、少年の被疑事件が、いわゆる身柄付で家庭裁判所に送致されたときはともかくとして、少年法上は、刑訴法上の起訴状送達に見合う倒度は存在しないのみならず、少年法一九条及び二一条によれば、将来少年に保護処分を課すこととなるかもしれない審判を開始するかどうかは、家庭裁判所が調査の結果、独自の権限と判断によつて決定すべき事柄であつて、検察官のした家裁送致には何ら拘束されないのであるし、同法八条一項によれば、検察官の家裁送致自体は、右の調査開始のためのひとつの端緒にすぎないことが明らかであり、また右の調査が、現行実務においては、もつぱら家庭裁判所の命を受けた家庭裁判所調査官の手によつてなされていることは、当裁判所に職務上顕著な事実であるが、右の調査命令を出すかどうかすらも家庭裁判所の専権に委ねられていることは、同条二項の規定上明らかである。なお、少年の被疑事件が家裁送致された場合、少年にとつて保護処分を受ける一般的かつ抽象的な危険が生ずるであろうことは前記のとおりであるが、右に見たところによれば、その危険は、およそ非行少年であれば、誰でも負担する種類、程度の危険であつて、検察官の家裁送致のみによつて発生し、またこれに伴う固有の危険とはいい難いものであることは自ら明らかであろう。

また、右のように少年の被疑事件につき家庭裁判所の審判が開始されたとしても、同法二二条によれば、この審判手続は非公開であつて、これに対する例外規定は存在しないのであるから、前記のように公開法廷で審理された場合に生じ得る不利益が少年に及ぶことは全くあり得ない道理であるし、更に同法二三条二項によれば、家庭裁判所は、検察官から送致された事実につき審判の結果、少年の犯罪に証明があつたときでも、少年の年齢、性格、心身の状況、非行そのものの内容その他を勘案して少年を保護処分に付さないことすらできるのであつて、そこには、いつたん公訴が提起され、犯罪の証明がある限り有罪判決を宣告しなければならない刑事訴訟と本質的な差異があり、少年の処遇についても、家庭裁判所は、検察官の意見に全く拘束されず、独自の権限と判断によつて、これを決定しなければならないことが予定されているのである。

最後に、検察官から家庭送致された少年の身柄に対する扱いについて見ると、同法一七条によれば、家庭裁判所は、検察官から勾留された少年の送致を受けたときは、少年を少年鑑別所に送致収容することを内容とする観護措置をとることができるのであるが、右の観護措置をとるかどうかも、家庭裁判所が独自の権限に基づいて、審判を行うため必要があるかどうかの判断によつて決定するものであつて、検察官の請求の当否を問題とするものでないことは、同条の規定の文言自体によつて明らかであり、公訴の提起によつて起訴前の勾留の期間が前記のように延長されるのとは異なり、少年の家裁送致それ自体の効果として、それ以前になされた勾留の期間が延長されるということはあり得ないのである。

4以上のように見てくると、検察官によつて少年の被疑事件について違法な家裁送致がなされた場合、送致を受けた家庭裁判所のとつた措置如何によつては、少年の権利が侵害されることもあり得ることは当然であるが、検察官の家裁送致それ自体によつて少年の権利が侵害されることは、およそ考えられないのであつて、本件の場合について強いて考えるとすれば、少年法一七条二項は、家庭裁判所は、検察官から勾留された少年の送致を受けたときについて、観護措置は遅くとも到着のときから二四時間以内に行わなければならない旨規定しているから、右の二四時間の身柄の拘束は、家裁送致そのものの効果ではないかという問題があり、またそのように考える余地も全くないではないのであるが、原告二郎につき、萱沼宅事件(①)の嫌疑を理由とする勾留請求が二月二三日、東工大事件(②)の嫌疑を理由とする勾留請求が三月六日、二俣宅事件()の嫌疑を理由とする勾留請求が四月一三日にそれぞれなされ、右請求に基づいて勾留状が発せられたことは前記のとおりであり、<証拠>によれば、第二回目の勾留期間は三月二五日まで、第三回目の勾留期間は五月二日まで延長されたことが認められ、この事実と前記第四、一において認定した事実と弁論の全趣旨を総合すれば、前記の家裁送致は、いずれも右の勾留期間内になされ、しかもその日のうちに観護措置決定がなされたことを認めるに充分であるから、本件において右の問題の生ずる余地はないのであつて、既に述べたように検察官の家裁送致によつて原告二郎につき権利侵害の結果が発生したとは考えられないのである。

5以上のとおりであるから、原告らが、家庭裁判所が原告二郎に対してとつた観護措置による身柄の拘束その他の処分の違法性とその結果としての権利侵害を主張するのであれば格別、検察官による家裁送致の違法性のみを原因とする原告らの被告国に対する請求は、既に前提において失当たるをまぬがれないものであるから、他の点に対する判断をするまでもなく、理由がないものとするほかない。

第五  検察官の接見制限の違法性

松田検察官が、四月一四日勾留中の原告二郎とその弁護人との接見交通について、原告ら主張の趣旨のいわゆる一般的指定をしたうえ、高橋利明弁護士の原告二郎との接見要求に対し、四月二三日午後に二〇分間、四月二六日午後に三〇分間及び四月二八日午後に二〇分間(その後、接見時間を三〇分間と変更。)とする三回にわたる接見日時等の具体的指定処分をしたことは原告らと被告国との間において争いがなく、この事実と<証拠>を総合すれば、高橋弁護士は、四月二三日までには原告二郎の弁護人に選任されていたもので、松田検察官の前記具体的指定処分に基づき、同日午後三時五分から午後三時二五分までの間、また四月二六日には相弁護人猪原弁護士とともに午後四時二五分から午後四時五五分までの間、更に四月二八日午後五時一一分から午後五時四一分までの間、高橋弁護士が単独で、それぞれ東調布署において、原告二郎と接見した(なお、右三回目の接見については、高橋弁護士が、同日、当初松田検察官の行つた接見時間を二〇分間とする具体的指定処分につき、東京地方裁判所に対し、右の処分の取消、変更を求める準抗告を申立てたことから、松田検察官が接見時間を三〇分に延長するに至つたものである。)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告らは、右のような一般的指定が既に違法であるのみならず、右の具体的指定処分は原告二郎の防禦権を侵害するものであつて違法である旨主張するのであるが、右の一般的指定が、当該被疑事件が検察官において刑訴法三九条三項所定の具体的指定処分をなすべき事案である旨を、予め被疑者が勾留されている監獄の長等に連絡する単なる事実上の通知であつて、将来検察官がなすことのあるべき具体的指定処分の準備的行為たる性質を有するにすぎないもので、一般的指定が、事前に一般的に被疑者と弁護人の接見交通を禁止する効果をもつ法律上の処分でないことは、前に見た一般的指定自体から明らかであり、従つて、一般的指定を違法とする原告らの主張が理由がないことはいうまでもない。また原告らは、松田検察官がした前記具体的指定処分が違法である旨主張するのであるが、前記認定のように、高橋弁護士は短時間ではあるが、右具体的指定処分に基づいて原告二郎と接見しているのであつて、右の接見しかできなかつたことにより原告二郎の防禦権が不当に侵害されたことについては、原告らは、何ら具体的に主張立証をしていないのであるから、この主張もまた失当たるをまぬがれない。

従つて、検察官の接見制限の違法を理由とする原告らの被告国に対する請求もまた理由がない。

第六  原告二郎の請求に対する判断

一  被告東京都に対する請求

1原田主任が勾留中の原告二郎を宮田正康と面接させた行為が脅迫として違法と評価すべきものであることは、前記第三、二、2、(三)において述べたとおりであり、右の違法行為が被告東京都の公権力の行使に当る公務員である原田主任が、その職務を行うについて、故意又は過失によつてなされたものであることは、同所において認定した事実関係及び前記第一において説示した事実に照して明らかであるから、被告東京都は、国家賠償法一条の規定により、原田主任の右行為によつて原告二郎が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。よつて、その損害の額について検討して見ると、

(一) 原告二郎が原田主任の右行為によつて精神的苦痛を蒙つたであろうことは推認するに難くないところであるが、上来認定した事実関係並びに本件に顕れた諸般の事情を斟酌すれば、原告二郎の右の精神的苦痛は、被告東京都から金一〇万円の支払を受けることによつて慰藉されるものと認めるのが相当である。

(二) 原告二郎が弁護士である同原告訴訟代理人らに本訴の提起追行を委任したことは、本件記録上明らかであるが、被告東京都において損害賠償責任を負担するのが右の原田主任の行為についてのみであること及びこれによる慰藉料の認容額並びに本件訴訟の推移にかんがみれば、被告東京都に負担せしむべき弁護士費用は金五万円と認めるのが相当である。

2以上のとおりであつて、原告二郎の被告東京都に対するその余の請求が理由がないことは既に述べたとおりであるから、原告二郎の被告東京都に対する本訴請求は、同原告が右において認定した慰藉料及び弁護士費用の合計金一五万円及びこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年一月二一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容し、その余の請求を失当として棄却する。

二  被告国に対する請求

原告二郎の被告国に対する請求がすべて理由がないものであることは既に述べたとおりであるから、この請求もまた失当として棄却する。

第七  原告ウメ子の請求に対する判断

原告二郎の被告東京都に対する請求の一部が認容されるべきものであることは右に見たとおりであり、原告ウメ子が原告二郎の母であることは当事者間に争いがないところであるが、原告二郎の右被害の態様からすれば、原告ウメ子が原告二郎の母としての慰藉料請求権を取得するに由ないものであることは国家賠償法四条、民法七一一条の各規定上明らかであるし、原告二郎の被告東京都に対するその余の請求及び被告国に対する請求が、いずれも理由がないことは前記のとおりであるから、原告ウメ子の被害東京都及び被告国に対する請求も、すべて失当として棄却をまぬがれない。

第八  結び

よって、民訴法八九条、九二条、九三条及び一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。なお、被告東京都の担保を条件とする仮執行免脱宣言を求める申立は、本件における認容額その他にかんがみ不相当と認めて却下する。

(原島克己 岡部崇明 安浪亮介)

(被疑事実)《省略》

送致事実一覧表《省略》

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